”羊を数えて眠る”って‥‥イメージングやないかーい!!

昨日の海岸。清々しい晴れでした。海も引いていて凪で穏やか。良き良き。
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最近、寝る前に羊を数える理由についての話を聞いたんだけれど
羊が一匹、、羊がニ匹、、羊が三匹、、、羊が153匹、、、ああ、ちょっと意味がわからなくて眠くなってきた、、おやすみ、、、
という感じではなく
どうやら昔は家畜が富の象徴であったので、羊を数えると気持ちよくなって寝れていたのでは?とのこと。
羊が一匹、、羊がニ匹、、羊が三匹、、、羊が153匹、、、豊かでウハウハだぜぇ、、気持ちいぃ、、おやすみ、、、
ってことらしい。
で、それを聞いて、長年潜在意識からの願望実現というジャンルを見てきた私は思うわけですよ。
「それって寝る前のイメージング(ビジュアライゼーション)やないかーい!!」
”潜在意識に印象を刷り込みやすい寝る直前に理想をイメージする”
と、あらゆる先人方が言ってきているけれど、羊を数えて寝る行為は時代が違うけれど、まんま同じことじゃないですか兄貴。
じゃあ【現代版羊を数える入眠法】は
万札が1枚、、万札が2枚、、万札が3枚、、、万札が100枚、、、豊かでウハウハ、、気持ちいぃ、、おやすみ、、
が正解じゃないですか!!
ただ、この方法で注意なのは「豊かでウハウハ」「気持ち良い」という満たされた感情かなぁ。
お金だけオーダーしたら、ネガティブポジティブ判断しない潜在意識(宇宙でも世界でも神でもなんでもOK)が無限の可能性からそれを叶える時に「大きな出費が出て、支払い時にお金を数えている状況」になりかねない。
だからお金のオーダーには満たされている感情も付け加えて、現象化するときはポジティブな状況にしてもらう。みたいなね。
寝る前のイメージングって、やってみると意識があっちこっちに向いてしまって深くイメージする前にどうでもいいことを考えてしまっていたりするから、複雑なイメージが難しく感じたりするかもだけれど、万札をただ数えるイメージならより楽にできるんじゃないかなぁって。
【認識系の気づき】距離はあるけどない(パート2)

今日の沖縄の海と空。
昨日は夕日に間に合わなかったので今日は間に合わせたのに雲がかかってた。
雨も降っていて暗めだけれど、高いところに出ていた羽のような雲は美しくて好きかも。
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距離はあるけどない
街を歩いて景色を見る。
住宅街を歩いて、景色を見る。
私の肉体から見ているすぐそばの家までは5メートルほど距離がある。
海岸を歩いて、景色を見る。
海を挟んで向こうの陸までは数キロくらい距離がある。
でも、その景色を認識しているのは私。
認識しているのは私の頭のど真ん中。
”意識の一点”で認識している。
”ここ”で認識している。
それはまるで超超リアルな画質のVRゴーグルをかけているような感覚。
目の前で世界は超リアルに展開していく。
ここからあそこまで距離はある。そう認識している。錯覚している。
でも、本当は距離はない。
なぜなら全ての景色は私の頭のど真ん中(”意識の一点”)で発生して、さらに瞬時に認識しているのだから。
テレビの向こうで話している人たちは、テレビ局の中に居るようだけれど、本当にそうなのだろうか?
テレビの向こうで話している人たちは、実は私の頭のど真ん中で話をしているのではないか?
こういう認識になってくると、なんとなくだけれど
先人方が言う「”もうあなたのものなのに、あなたは手に入っていないふりをしている”」
と言う言葉の意味も、わかるような気がする。
距離が錯覚としたら、他人が持っているように見えている高級品は、はたして誰のものなんでしょう?
今までの認識で世界を見たら、距離はある。まるで無限に世界は広がっているように見える。
でも”意識の一点”からの認識で世界を見たら、距離は無い。全てが”ここ”にある。
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認識の感覚を言葉にするのって難しいですね。
これを数年前の私に聞かせたら「何言ってんだコイツ」って感じに無視されてしまったでしょう。
これを近くの人に話したら「この人はいかれている人かもしれない‥」と警戒されてしまいそう。
もしかしたら私は認識について誰かに話したくてブログを書き始めたのかもしれない。
↑なら潜在意識系の掲示板に行きなさいな!って感じですねw
余談なのですが、数年前に読んだオーラに関してまとめた本で知ったと思うのですが
人の強い念というのは相手の人がどこにいても距離に関係なく届くそうです。
相手の人を守りたい念、愛する念、害したい念。なんであれ強い念は対象の人の元へ行き、そこでその念がなそうとしている意図を再現しようとするらしいです。それが生霊と呼ばれるもの。とのことだったはず。
念に距離は関係ないっていうのを、本を読んでいた当時は「不思議だなぁ‥」と思っていましたが
見ている景色の距離は錯覚で、全てが頭のど真ん中の”意識の一点”での出来事だから距離は無い。
ということに気づくと「ああなるほどな」って感じになりました。
距離は錯覚で、私はここ(意識の一点)に居て、相手もここ(意識の一点)に居る。
なら、距離に関係なく念が届いてもおかしくないんだよなぁって感じです。
【認識系の気づき】距離はあるけどない(パート1)

25年8月29日、沖縄の19時の海。
日が沈むのも早くなってきて、夕日に間に合わず、、!!
あと10分早ければ間に合っていたのに、、不覚っ、、!!
あ、でも雲で見えなかったかもしれないか。
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今日はガーナチョコレートの「苺のフランボワーズ」を食べたのですが
最っ高に美味しかった。
あと、カレーの具材を肉なし野菜のみで作ってみたのですがこれも結構美味かった。
「カレーには肉を入れろ」と父は言うけれど、案外野菜のみでも良いかも。
感謝感謝。
些細な感謝に気づく。些細な充足に気づく。
これが意識の焦点を充足に向けて、人生を楽しくする秘訣。。らしいですね。
そんなことは、置いて置いて
今回は”距離はあるけどない”という気づきについて。
これは私が1年前くらいに今更ながら気づいたこと。
youtubeで耳かきASMRを聴きながら眠りにつこうとしている時のこと。
(これ安眠できるんですけどヤバい趣味かな??)
耳かきゴリゴリ‥‥(音)
私の頭の声
「ああこの音気持ちいいぃ‥‥本当に耳かきされているみたいだ‥‥」
「でも耳かきしてる人はネットを挟んで遠いところに居るんだよなぁ」
「でもやっぱり本当に耳かきされているみたい‥‥」
「音はここで感じてるのにね」
「んん?あれ?ちょっと待って」
「音はここで感じているぞ??耳かきしてる人は遠くにいるはずなのに、音はここで感じてる!?」
「ああ私は今ここで耳かきされているんだ!!(狂気)」
この話で何が言いたいのかというと
”音が遠くから来た”という認識が錯覚だった、ということ。
例えばテレビを見ている時、テレビのスピーカーから音が発せられて、耳に届いて聞き取り、感じる。
そこにはスピーカーから私の耳まで、その間に距離があると思っていた。
でも、感じているのは、私の耳。
もっと言えば耳を通してもう一つ奥、”意識”が音を感じている。
それはまるで、離れたところから発せられた音を耳がキャッチして聞いているのではなく、意識から音が出てきてその場で意識が音を聞いている。という感じだった。そこに距離は無かった。
例えば、外で爆発があって、その爆発音を聞いたとする。
通常であれば「ああ、あの爆発で音がここまで届いたのか」と思う。
けれど、音を聞いたのは”ここ”。”意識の一点”で感じた。音は意識の一点で鳴った。聞いた。
そこに距離はない
言葉にするの難しいぃ‥‥
「音がしてるのは外じゃなくて頭の中で音が鳴っている」という感じ。
時々頭の中で過去に聞いた音楽が流れたりする。
それは頭の中、意識から出てきて、意識が自分で聞いている。
そこには距離はない。
実際にスピーカーから音が発せられて、耳を通して、頭の中に音楽が流れる。
それは頭の中、意識が認識して聞いている。
これは通常の認識からだと距離はある。と思える。
でも、これにも距離はない。
どちらも”意識の一点”で音を聞いているから。
これ過去の私が読んだら意味不明すぎるなぁ‥w
「距離はあるけどない」
この認識は音だけでなく見ている景色にも適応できる。
景色にも適応してみると「世界=私だった」と先人たちが言っているのもなんとなくわかる気がしてくる。
次回は見ている景色にも適応してみたというのを書こうかな。
ブログ更新再開します

25年8月28日沖縄からの今日の海。
ちょうど太陽に小さな入道雲がかかってしまっていました。
入道雲の壮大さ、綺麗なグラデーションを見せる空。太陽が見えてなくても綺麗で好。
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お久しぶりでございます。
ひななぎです。
前回の記事は23年の12月ということで、1年半も間隔が空いてしまいました。
というのも、あんまり読まれてなかったので「これってやる意味あるのかなぁ?」なんて思っちゃったんです。
最初は日記のつもりで書いて、それが誰かの気づきのきっかけになれば良いよねってことでブログをはじめていたのに、いつの間にか承認欲求に呑まれてました。我ながら人間らしいなって感じます。
それで少しサボっていたらズルズルと、、、笑
この1年半の間に、私の探求の興味は潜在意識系というのでしょうか、先人方の言う「既にある」「なる」「自己観察」等の方向へ向くように変わりました。
そして「私=意識」であり「意識=世界」なんじゃないかと認識が変わりつつあります。
「いやいや、あなた=世界なら、こうやって記事を書いて共有するようなことしなくていいじゃないか」
と、思うかとですが、書きたい欲求が何故か出てきているから書いているという感じで、書くという行為をしている私を見ている意識たる私も同時に存在しています。(意味不明ですよね)
この記事を書いている現在の私は、達人と呼ばれている先人方と比べると中途半端な覚醒具合なのでしょうが、日々を過ごしている間にも次々と気づきがあるので、それらを書き留めていこうと思っています。
私より気づきが進んでいる方には全くためにならないかもしれませんが、私より変化の前段階の認識を持っている方には、少しでもヒントになるんじゃないかなって。
今回からはちゃんと日記っぽくする!!!長く続けられるようにゆるくする!!!
ということで、これからは「別の領域」「既にある」「なる」「認識の変更」などと言われている潜在意識系?をメインに、日々の気づきをゆる~く書いていこうと思います。
ブログ内での言葉使いも、もっと自分を曝け出すように、キャラクターとかを考えずにありのままで行こうと思っていますので、今までの記事とは違う話し方になるかもしれませんが、よければお付き合いくださいな。
【ある日のチャネリングメモ】ネガティブ思考とその影響について

こんばんは、ひななぎです。私の中に時々降りてきている(たぶんw)メッセージを今回から記事にしてみようかなと思います!
あ、でも鵜呑みにせずに必ず疑って吟味してくださいませ。信じたことでゆくゆくは自分の世界を作ることになりますので。
この記事は23年09月14日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。また、記事の内容は鵜呑みにせずに疑って十分吟味してください。
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これはある日のチャネリングメモ。
この頃、私はチャネリングするつもりはなかったけれど、リラックスしているとスイッチが入ったように、考えが次々と降りてくることがある。これはそれをメモしたものの1つ。
※この記事を読んでくださる方がわかりやすくなるように、個人的な内容が入っている部分は少しばかり変更しています。
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ネガティブ思考をできるだけポジティブ思考に変えたほうがいい。
ふと、ネガティブ思考に捕われているのに気づいたらすぐに意識の焦点をずらしなさい。
あなたが意識を向けたものには生命力を与えます。
そしてある思考に溜まった生命力が臨界に達すると、それは物質界へ現れます。
あなたの思考はあなたからではなく”思考の海”から来ていて、その海の中のある思考にあなたが意識の焦点を合わせると、その対象に生命力を分け与えます。
その思考はあなたの頭の中を通り過ぎてしまい、その場では現実化せずに忘れられて
あなたの人生には直接的な影響は無いことが多いでしょう。
しかし、あなたは思考に一時的でも意識を集中したので生命力を分け与えました。
その思考はあなたから忘れさられてしまいますが、別の人が思考の海から拾い上げます。
別の人は拾い上げた思考に意識を集中し、その思考は更に生命力を増します。そしてまた忘れさられます。
その後また別の人が思考を拾い上げ、、、、、というように、思考に生命力を与えるリレーのようなことが起きています。
あらゆる人から少しづつでも生命力を分け与えられた思考は、やがて臨界に達し物質界に現れます。
物質界に現れるにはほとんどの場合それを手伝う肉体が必要です。その時おそらく誰かを巻き込みながら現れるでしょう。
その思考に巻き込まれる中心となる人物は、現実化を待つその思考と近い波動を持っている人となるでしょう。
さて、その思考がネガティブなものだったとして、あなたは少しですが意識を向けて生命力を分け与えました。”与えた”ならば相応のものが返ってきます。
「現実化したものが凄く破壊的だったとして、それと同レベルの災いが返ってくるのか?」
という疑問ですが、そうではなく、あなたが生命力を分け与えた分に比例して返ってきます。
ちょっとしたネガティブ思考であれば、返ってくるものは些細なことでしょう。
しかし考えてみてください。
ネガティブ思考はひとつひとつ小さくても、日常的に何回もあなたから発せられていませんか?
それがひとつひとつ返ってきていて、あなたの人生に少なからず影響しているとしたらどうでしょう?
日常的に抱く思考の重要性に気づけたでしょうか?
あなたが抱く思考と意識は無力ではありません。
考えているだけで相応の影響をあなたへ与える種になっています。
ですので、ネガティブ思考に気づいたらすぐに意識の焦点をずらしなさい。
そして、より良いポジティブな思考を抱いたり探すようにして
ポジティブな面に意識の焦点を当てる癖を作りましょう。
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メモしていた内容をほぼそのまま載せました。
こういうメッセージは今までも多々あって、いろいろメモしているのでシリーズ化したいな。
ただ、メッセージは当時の私のレベルに合わせた内容になっているので、読む人によっては当たり前のことであったり、意味不明な内容だと捉えられたりすると思いますが、復習もかねて。
誰かの役に立つ内容となっていれば嬉しいです。
【スピ日記】過去ヒーリングとトラウマ記憶の鮮明さ

こんにちはひななぎです。今回はヒーリングをした後の記憶についての、ちょっと思ったことメモです。憶測の段階ですので「こんな考えもあるのかなぁ」くらいで読んでくださると幸いです。
この記事は23年12月01日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。また、記事の内容は鵜呑みにせずに疑って十分吟味してください。
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エネルギーヒーリング系の本を読むとオーラを見ると身体の体調不良の場所がわかるそうで、その場所はエネルギーの流れが滞っているのが見えるそう。
そのエネルギーの滞りは、過去のトラウマを原因とした感情を押さえつけることで出来ているんだそう。
そのエネルギーの滞りによって病気だけでなく、心理的なブロックや身体のダルさも出て来たりするみたいなので、私はここ最近本格的に自分の過去のトラウマを解消するために自己ヒーリングをやりはじめた。(今更)
私がやっていた自己ヒーリングのやり方はとっても簡単。(感情的には不快だけど)
静かな所で十分にリラックスする。その後、過去のトラウマができた時の記憶を思い出す。この時できるだけしっかりと思いだす。その出来事が不快であればあるほどすぐに思い出せるのがわかる。感情的に苦しいけれどしっかりと向き合う。
そしてその時の感情を感じつつも、その出来事を起こした自分もしくは相手を理解してあげて存分に許す。
許したら、ショックを受けている記憶の中の自分を慰めてあげたり、肯定してあげたり、深く愛してあげる。
「もう十分かな?」と思えるまでやったら、気持ちを明るく切り替えて記憶の世界から戻ってくる。
これを1セット。
1回やるだけでだいぶ楽になる。(また記憶を思い出しても不快にならなくなる)
ただ、強いショックをうけたトラウマは何セットか繰り返す必要があると思う。
で、上記の感じで自己ヒーリングを時々行っていたら、面白いことに気づいた。
記憶をふと思い出しても不快な気分が薄くなったのは、ヒーリングが効いているということにして、それとは別にヒーリングした過去のトラウマが起きた時の記憶が薄くなっているのに気づいた。
思い出そうとしたら思い出せるのだけれど、ヒーリングする前より明らかに思い出しずらい。記憶が薄くなっている。
いろいろな過去のトラウマ、もとい嫌な記憶をヒーリングしてみたけれど、どれも記憶が薄くなった感じがある。
記憶が薄くなったからか、不快な感情も薄くなっている。
ここからは私の勝手な考察。
もしかして身体のエネルギーの滞りというのは、すぐに思い出せる過去の記憶だったりするのかも?
それをヒーリングしたことでエネルギーの流れが解放されて記憶が薄くなった?
これがもしそうなら、すぐに思い出せる過去の記憶があるか無いかで、自分の身体のエネルギーが滞っているか判断できるかもしれない。
例えば、お風呂に入っているときなどに、ふと過去の嫌な記憶を思い出したとしたら、それは解放されるべきエネルギーの滞りがどこかにあるというサイン。これに気づくことができればすぐにヒーリングして少しづつ過去のしがらみから解放されることができそう。
「過去の出来事を思い出して」
と言われれば、たくさん思い出せるけれど、楽しかったことや嬉しかったことよりも先に、苦しかったことや怖かったこと、恥をかいてしまったことを思い出してしまう自分に気づいた。
つまり上記の考えに当てはめるなら、それだけ身体のどこかにエネルギーの滞りがある。ということになるのでは?
もしそうだとしたら、歳をとるごとに体調が悪くなってくるという話にも理由がつく。
ただの老いだけでなく、過去のトラウマ(エネルギーの滞り)を解放しないまま、次のトラウマ、さらに次のトラウマ、、、とたくさん抱えてしまってついにはカバーできないほどのエネルギーの滞りとなったとき体調の悪さとして出てくるのかもしれない。
憶測だけどね。
【スピ日記】"誰かの教えを鵜呑みにしない"ということ

こんばんは、ひななぎです。今回はスピな本を読んでいると時々冒頭に注意される「教えを鵜呑みにしない」について、私の考えを綴ってみました。
この記事は23年11月28日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。
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「”教えを鵜呑みにしないこと”」
スピリチュアルな本を読んでいると、時々こういう注意書きが冒頭にあることに気づく。特に、著者の知識が深いほどこういった注意書きがあることが多いように思える。
当時まで知識があればあるほど良いと思っていた私は、この言葉の意味をよく理解できていなかった。(今もしっかり理解できているかは怪しいのだけれど。笑)
しかし、最近になって世界がもしかしたら、1人1人に与えられているのでは?と思うようになった。
どういう理論かと言うと、この文章を書いている私は私が見たい世界を見ていて、この文章を読んでいるあなたはあなたで、自分が見たい世界を見ている。つまり、個別に違った世界を見ている。という考え方。
私がこの考えに至ったのは複数の本からのうけおりなのだけれど、最近見つけてわかりやすいと思った方としては、はせくらみゆきさんという方を調べてもらうと、見たい世界を見ているという考え方がわかりやすくなると思う。
こういう「1人1人が世界を見たいように見ている」ということを考えているときに
「”教えを鵜呑みにしないこと”」という言葉が何を言おうとしているのかがわかったような気がした。
もし1人1人が個別の世界を見ていて、見たいように世界を見ているのだとしたら、、?
例えば「引き寄せの法則はあります」という人の著書を読んで、「なるほど、、そういう法則があるんだ!」と信じたら、その人の世界に引き寄せの法則が現れ始める。
逆に「胡散臭い。そんな都合の良いことは無い」と信じたら、その通り、その人の世界にそんな法則は見当たらない。人は見たい世界を見ているから。
もっと過激な例で言うと「人生にはカルマの法則がある」と教えられそのまま信じてしまったら、その人の世界にはカルマの法則が存在し、人生は過去生からのやられやり返されという縛りがある世界を見てしまう。
「世界は争いが絶えない」と教えられ信じてしまったら?まさにその人の世界には争いの種があることになってしまう。
これらは逆にポジティブで平和な世界や、人生に都合の良い法則を信じれば、その人の世界は明るくなっていくということでもあるけれど、上記のような争いや苦しい法則の存在があると教えるなら、教える前に「”教えを鵜呑みにしない”」と注意されるのも頷ける。
今の私の考えは、だけれど。
スピリチュアルなリーダー達がこうやって時々注意書きを入れるのは、教えを鵜呑みにすることの影響を鑑みてのことだと思った。
「”真実は1つではない。この世界では1つだけれど、あなたの世界では違うかもしれない”」
なので、何か教えを受けるときは、十分に疑うこと。疑って吟味して、違和感あるなら信じない。
でも都合の良い教えは次々信じていって、自分が見ている世界を明るくすること。こういう動きが大事かも。
「では、他のリーダーと一致しない意見を言っているスピリチュアルリーダーは噓を言っているの?」
と思うかもだけれど、そうではなくてその人にとっての真実を言っているのだと思う。
「”教えを鵜呑みにしない”」と注意を入れてくれているのは、言葉を聞く人が何でもかんでも信じてしまわないように注意書きをつけてくれているのだろう。
もちろん、この文章も私の今までの記事も鵜呑みにせずに十分疑ってほしい。
信じる信じないで見る世界が変わるかもしれないのだから。