【ある日のチャネリングメモ】ネガティブ思考とその影響について

 

こんばんは、ひななぎです。私の中に時々降りてきている(たぶんw)メッセージを今回から記事にしてみようかなと思います!

あ、でも鵜呑みにせずに必ず疑って吟味してくださいませ。信じたことでゆくゆくは自分の世界を作ることになりますので。

 

この記事は23年09月14日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。また、記事の内容は鵜呑みにせずに疑って十分吟味してください。

 

 

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これはある日のチャネリングメモ。
この頃、私はチャネリングするつもりはなかったけれど、リラックスしているとスイッチが入ったように、考えが次々と降りてくることがある。これはそれをメモしたものの1つ。

 

※この記事を読んでくださる方がわかりやすくなるように、個人的な内容が入っている部分は少しばかり変更しています。

 

 

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ネガティブ思考をできるだけポジティブ思考に変えたほうがいい。

 

 

ふと、ネガティブ思考に捕われているのに気づいたらすぐに意識の焦点をずらしなさい。

 

あなたが意識を向けたものには生命力を与えます。
そしてある思考に溜まった生命力が臨界に達すると、それは物質界へ現れます。

 

あなたの思考はあなたからではなく”思考の海”から来ていて、その海の中のある思考にあなたが意識の焦点を合わせると、その対象に生命力を分け与えます。

 

その思考はあなたの頭の中を通り過ぎてしまい、その場では現実化せずに忘れられて
あなたの人生には直接的な影響は無いことが多いでしょう。

 

しかし、あなたは思考に一時的でも意識を集中したので生命力を分け与えました。
その思考はあなたから忘れさられてしまいますが、別の人が思考の海から拾い上げます。

 

別の人は拾い上げた思考に意識を集中し、その思考は更に生命力を増します。そしてまた忘れさられます。

 

その後また別の人が思考を拾い上げ、、、、、というように、思考に生命力を与えるリレーのようなことが起きています。

 

 

あらゆる人から少しづつでも生命力を分け与えられた思考は、やがて臨界に達し物質界に現れます。


物質界に現れるにはほとんどの場合それを手伝う肉体が必要です。その時おそらく誰かを巻き込みながら現れるでしょう。

 

その思考に巻き込まれる中心となる人物は、現実化を待つその思考と近い波動を持っている人となるでしょう。

 


さて、その思考がネガティブなものだったとして、あなたは少しですが意識を向けて生命力を分け与えました。”与えた”ならば相応のものが返ってきます。

 


「現実化したものが凄く破壊的だったとして、それと同レベルの災いが返ってくるのか?」


という疑問ですが、そうではなく、あなたが生命力を分け与えた分に比例して返ってきます。


ちょっとしたネガティブ思考であれば、返ってくるものは些細なことでしょう。

 

 

しかし考えてみてください。
ネガティブ思考はひとつひとつ小さくても、日常的に何回もあなたから発せられていませんか?

 

それがひとつひとつ返ってきていて、あなたの人生に少なからず影響しているとしたらどうでしょう?


日常的に抱く思考の重要性に気づけたでしょうか?

 

 

あなたが抱く思考と意識は無力ではありません。
考えているだけで相応の影響をあなたへ与える種になっています。

 

ですので、ネガティブ思考に気づいたらすぐに意識の焦点をずらしなさい。

 

そして、より良いポジティブな思考を抱いたり探すようにして
ポジティブな面に意識の焦点を当てる癖を作りましょう。

 

 

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メモしていた内容をほぼそのまま載せました。
こういうメッセージは今までも多々あって、いろいろメモしているのでシリーズ化したいな。

 

ただ、メッセージは当時の私のレベルに合わせた内容になっているので、読む人によっては当たり前のことであったり、意味不明な内容だと捉えられたりすると思いますが、復習もかねて。

 

誰かの役に立つ内容となっていれば嬉しいです。

 

 

 

 

【スピ日記】過去ヒーリングとトラウマ記憶の鮮明さ

 

こんにちはひななぎです。今回はヒーリングをした後の記憶についての、ちょっと思ったことメモです。憶測の段階ですので「こんな考えもあるのかなぁ」くらいで読んでくださると幸いです。

 

この記事は23年12月01日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。また、記事の内容は鵜呑みにせずに疑って十分吟味してください。

 

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エネルギーヒーリング系の本を読むとオーラを見ると身体の体調不良の場所がわかるそうで、その場所はエネルギーの流れが滞っているのが見えるそう。

 

そのエネルギーの滞りは、過去のトラウマを原因とした感情を押さえつけることで出来ているんだそう。


そのエネルギーの滞りによって病気だけでなく、心理的なブロックや身体のダルさも出て来たりするみたいなので、私はここ最近本格的に自分の過去のトラウマを解消するために自己ヒーリングをやりはじめた。(今更)

 

 


私がやっていた自己ヒーリングのやり方はとっても簡単。(感情的には不快だけど)

 


静かな所で十分にリラックスする。その後、過去のトラウマができた時の記憶を思い出す。この時できるだけしっかりと思いだす。その出来事が不快であればあるほどすぐに思い出せるのがわかる。感情的に苦しいけれどしっかりと向き合う。

 

そしてその時の感情を感じつつも、その出来事を起こした自分もしくは相手を理解してあげて存分に許す。

 

許したら、ショックを受けている記憶の中の自分を慰めてあげたり、肯定してあげたり、深く愛してあげる。

 

「もう十分かな?」と思えるまでやったら、気持ちを明るく切り替えて記憶の世界から戻ってくる。

 

 

これを1セット。


1回やるだけでだいぶ楽になる。(また記憶を思い出しても不快にならなくなる)
ただ、強いショックをうけたトラウマは何セットか繰り返す必要があると思う。

 

 

 

で、上記の感じで自己ヒーリングを時々行っていたら、面白いことに気づいた。


記憶をふと思い出しても不快な気分が薄くなったのは、ヒーリングが効いているということにして、それとは別にヒーリングした過去のトラウマが起きた時の記憶が薄くなっているのに気づいた。

 

思い出そうとしたら思い出せるのだけれど、ヒーリングする前より明らかに思い出しずらい。記憶が薄くなっている。

 

いろいろな過去のトラウマ、もとい嫌な記憶をヒーリングしてみたけれど、どれも記憶が薄くなった感じがある。

 

記憶が薄くなったからか、不快な感情も薄くなっている。

 

 

 

ここからは私の勝手な考察。

 

もしかして身体のエネルギーの滞りというのは、すぐに思い出せる過去の記憶だったりするのかも?


それをヒーリングしたことでエネルギーの流れが解放されて記憶が薄くなった

これがもしそうなら、すぐに思い出せる過去の記憶があるか無いかで、自分の身体のエネルギーが滞っているか判断できるかもしれない。

 

例えば、お風呂に入っているときなどに、ふと過去の嫌な記憶を思い出したとしたら、それは解放されるべきエネルギーの滞りがどこかにあるというサイン。これに気づくことができればすぐにヒーリングして少しづつ過去のしがらみから解放されることができそう。

 

 

「過去の出来事を思い出して」
と言われれば、たくさん思い出せるけれど、楽しかったことや嬉しかったことよりも先に、苦しかったことや怖かったこと、恥をかいてしまったことを思い出してしまう自分に気づいた。

 

つまり上記の考えに当てはめるなら、それだけ身体のどこかにエネルギーの滞りがある。ということになるのでは?

 

もしそうだとしたら、歳をとるごとに体調が悪くなってくるという話にも理由がつく。

 

ただの老いだけでなく、過去のトラウマ(エネルギーの滞り)を解放しないまま、次のトラウマ、さらに次のトラウマ、、、とたくさん抱えてしまってついにはカバーできないほどのエネルギーの滞りとなったとき体調の悪さとして出てくるのかもしれない。

 

憶測だけどね。

 

 

 

 

 

 

【スピ日記】"誰かの教えを鵜呑みにしない"ということ

 

こんばんは、ひななぎです。今回はスピな本を読んでいると時々冒頭に注意される「教えを鵜呑みにしない」について、私の考えを綴ってみました。

 

この記事は23年11月28日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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「”教えを鵜呑みにしないこと”」

 

スピリチュアルな本を読んでいると、時々こういう注意書きが冒頭にあることに気づく。特に、著者の知識が深いほどこういった注意書きがあることが多いように思える。

 

当時まで知識があればあるほど良いと思っていた私は、この言葉の意味をよく理解できていなかった。(今もしっかり理解できているかは怪しいのだけれど。笑)

 

しかし、最近になって世界がもしかしたら、1人1人に与えられているのでは?と思うようになった。


どういう理論かと言うと、この文章を書いている私は私が見たい世界を見ていて、この文章を読んでいるあなたはあなたで、自分が見たい世界を見ている。つまり、個別に違った世界を見ている。という考え方。

 

私がこの考えに至ったのは複数の本からのうけおりなのだけれど、最近見つけてわかりやすいと思った方としては、はせくらみゆきさんという方を調べてもらうと、見たい世界を見ているという考え方がわかりやすくなると思う。

 


こういう「1人1人が世界を見たいように見ている」ということを考えているときに
「”教えを鵜呑みにしないこと”」という言葉が何を言おうとしているのかがわかったような気がした。

 

 

もし1人1人が個別の世界を見ていて、見たいように世界を見ているのだとしたら、、?

 

 

例えば「引き寄せの法則はあります」という人の著書を読んで、「なるほど、、そういう法則があるんだ!」と信じたら、その人の世界に引き寄せの法則が現れ始める。

 

逆に「胡散臭い。そんな都合の良いことは無い」と信じたら、その通り、その人の世界にそんな法則は見当たらない。人は見たい世界を見ているから。

 

 

もっと過激な例で言うと「人生にはカルマの法則がある」と教えられそのまま信じてしまったら、その人の世界にはカルマの法則が存在し、人生は過去生からのやられやり返されという縛りがある世界を見てしまう。

 

「世界は争いが絶えない」と教えられ信じてしまったら?まさにその人の世界には争いの種があることになってしまう。

 


これらは逆にポジティブで平和な世界や、人生に都合の良い法則を信じれば、その人の世界は明るくなっていくということでもあるけれど、上記のような争いや苦しい法則の存在があると教えるなら、教える前に「”教えを鵜呑みにしない”」と注意されるのも頷ける。

 

 

今の私の考えは、だけれど。


スピリチュアルなリーダー達がこうやって時々注意書きを入れるのは、教えを鵜呑みにすることの影響を鑑みてのことだと思った。

 

 

「”真実は1つではない。この世界では1つだけれど、あなたの世界では違うかもしれない”」

 

 

なので、何か教えを受けるときは、十分に疑うこと。疑って吟味して、違和感あるなら信じない。


でも都合の良い教えは次々信じていって、自分が見ている世界を明るくすること。こういう動きが大事かも。

 

 

 

「では、他のリーダーと一致しない意見を言っているスピリチュアルリーダーは噓を言っているの?」


と思うかもだけれど、そうではなくてその人にとっての真実を言っているのだと思う。

 

「”教えを鵜呑みにしない”」と注意を入れてくれているのは、言葉を聞く人が何でもかんでも信じてしまわないように注意書きをつけてくれているのだろう。

 

 


もちろん、この文章も私の今までの記事も鵜呑みにせずに十分疑ってほしい
信じる信じないで見る世界が変わるかもしれないのだから。

 

 

 

 

 

 

【スピ日記】実はチャネリングってみんな毎日やっているのでは?

 

こんにちは!ひななぎでございます。今回はチャネリングにちょっと思った些細なことの話です。

 

この記事は23年11月28日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。また、記事の内容は鵜呑みにせずに疑って十分吟味してください。

 

 

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静かな所で1人リラックスして、頭の中で誰かと会話をしてみる。


会話というのはまるでおままごとみたいに、1人2役でやるようなイメージ。

(この時の相手役は自分より賢明で賢い人、すべてを見通している存在だと考えた方がいいかも)

 

 

で、流れるように会話してみる。


自分と違う相手役の言葉が頭に浮かんでくるけれど、これは自分の妄想だと思わずにとりあえず出してみる。


抵抗せずに思いつくままに会話するということ。

 

するとその場その場でしっかりとしたアドバイスをくれるのがわかる。

 

そのアドバイスは自分の思考として入ってくるので、まるで自分が考えたように思えてしまう。


こういったことはかなり前から考えがスラスラと出てくることは前々からあったのだけれど、これがチャネリングの一種なんじゃないかと、実感が出始めたのは最近になってから。

 

 

そんな感じで行った頭の中の会話の今日のやり取りを少し書いてみる。

 

(シャワー中)
私は作品作りをどうするか悩んでいた。

 

すると考えが出てきた。
「机に向かって手を動かす。そけだけ集中できればあらゆる作品は必ず完成される。」

 

私「あ、考えが降りてきた。シャワーからあがったらメモしよう」

 

シャワーから出て、メモに向かう。そして考えが降りてくるのに抵抗せずに言葉を書き連ねる。すると言葉がスムーズに出てくる。

 

「テーマを決めたら、それをどのように作り上げるかを考えながら、抵抗せずに手を動かし続けること。」


「アイデアが物質界に顕現されるまでにどれくらい時間がかかるかは、人による。というのも、アイデアが肉体というパイプを通して顕現するので、その肉体に何らかの抵抗があるとその分遅くなる。抵抗というのは○○は自分には出来ないという思い込みや技術レベルのこと。」

 

「これは、こういうことが起きている。↓」

 

「テーマを決める=思考の集中先を決める。思考領域に鋳型を作る。」


「作り方を考える=意識を集中することで創造エネルギーを鋳型に注ぎ続ける。」


「手を動かす=思考領域で完成したものを物質界へ顕現させる為の労力を進んで提供すること。このときどのように肉体を動かせばいいか、どこから情報を得たらいいかは直感的にわかるので、抵抗しないようにすること。」

 

「肉体をどれだけ明け渡せるかでもある。」


「思考領域で完成したものが物質界で現れる為にはほとんどの場合、誰か手助けが必要となる。なのに肉体を動かすことに抵抗してしまえばなかなか顕現することができなくなってしまう」

 

「あなたが肉体を動かそうとしないなら、創造エネルギーを注ぎ込んだアイデアを別の人が受け取ってしまい、別の人が創り出してしまうかもしれない。この時その人は肉体を明け渡した対価として、、、、、(ここからさらに続く)

 

 

今日はこんなやりとりをアドバイスを30分近くしていた。

 

 

 

で、話をこの記事の題名に戻そう。


実はみんな少なからず毎日似たようなことをやっているのではないだろうか?なんて思った。

 

というのも、私は上記のような会話が頭の中に出てくるときの感覚はまるで、ジャンクフードを食べようとすると「食べないほうがいいよ」と止めてくるというような、内面での葛藤に感覚が似ているのに気づいた。

 

ということは、みんな毎日何かしらの存在にチャネルしているのでは?なんて思った。

 

余計なことをしようとすると「しないほうがいいんじゃない?」
怠惰でのんびりしすぎると「そろそろ○○したほうがいいんじゃない?」


という言葉が頭の中で出てきたりしないだろうか?

これ実はチャネリングの一種なのではないか?

 

 

私たちはこういう内側からの声をただの妄想だと判断して無視しがちだと思う。


でもそれは、妄想ではなくて高い存在からのメッセージかもしれない。
(こんな記事を書いている私もまぁまぁの頻度で無視してしまっていて、余計に食べたり、いらないものを買ってしまったりして反省している今日この頃です。笑)

 


興味がある方はとっても簡単なので是非試してみてほしい。

 

トイレでもお風呂でもベッドの上でも、何か考えが浮かんできたら、会話をするつもりで頭の中で話を続けてみてほしい。


するとかなり長い間会話が続くかもしれないし、自分では考えもしなかったアドバイスを貰えるかもしれない。

 

 

※注意※
でもチャネリングによって低い存在と繋がることがあるそう。ネガティブな考え方、破壊的な考え方は低い存在と繋がっている証。そういう言葉がわいてきた時は会話を続けずにすぐに意識を別の所へ向けること。

 

 

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記事を書いている時「なんか変な話をしてるなぁ」と自分でも思いました。笑

スピではない方が読むと精神やられてしまったブログ主だと思われちゃいそうですね。スピな話は胡散臭くないように伝えるのは難しいなぁ

 

 

 

【スピ日記】行動意欲は過去の思考の結果として沸き起こる説

 

ひななぎでございます。今回は行動意欲や情熱はどうやって出すのか?についてやっと答えが得られましたので共有しようかなと思っています。

とはいえ、まだ仮説段階ですので、こういう考えもあるんだなぁって感じのゆるい気持ちで読んでくれると嬉しいです。

 

この記事は23年10月14日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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私はイラストレーターとして稼いで生きていこうと思っていたのだけれど
ある時期から行動意欲というか情熱が自分の中に無くなっているのに気づいた。

 

噓っぽく聞こえると思うが、イラストサイトpixivでは4.5万人もフォロワーがいてくれているのに、ここにきてイラストを描く気分にならなくなってしまった。

 

情熱が無くなると、活動するのがすごく嫌な気分だ。


嫌というよりは身体が重い感じ。どこか心の中にブレーキがあるような、やりたくないと感じているのがわかる。

 

私は現在実家に住んでいるから、生活がピンチと言うほどではないけれど、これは正直危ないようにも思えた。

 

イラストレーターなのに描かなくなってしまえばそれはもう稼ぎにならないし、描かないブランクが長くなればなるほど、画力が落ちてしまうのではないか?画力が落ちてしまえば、稼げなくなってしまうのではないか?そんな懸念があった。

 

 

ということで情熱を出したいのだけれど、どうやって出すのだろう?

 

 

行動を促すような内容が書かれている自己啓発書や行動心理学書を何冊か読んでみたけれど「情熱を出そう!」「情熱を出して事にあたれば上手くいく!」というような内容が多かった。

 

 

で、どうやって情熱を出すの?

 

 

恥ずかしながらそれから答えが出ずに数ヶ月たってしまった。


答えが出るまでにとても長くかかってしまったのは、真剣に考えていなかったからだと思う。

 

強めに考えた疑問は潜在意識に入り込み、ふとしたタイミングで直感的に答えがもどってくるのはわかっていたのだけれど、私はとある理由から強く考えることをしていなかった。

 

というか、ほぼ何もしない毎日を気分転換のつもりで楽しんでいたのかもしれない。

 

 

あるとき、些細な出来事があった。

 

ある日の昼時。ホームセンターのガーデニングコーナーで、名前が書かれていない観葉植物が売られていた。

 

値札しかついていない。カポックに近いように見えるけれど葉が丸い。

 

「なんという植物なのだろう?」すこしの間そのことを考えていたが結局答えはわからず。

 

その日の午後、車を運転中に急にダイソーへ行きたくなった。

予定は特に無かったのに。


ただ、こういう突然出てきた気持ちは直感的なものが多いとわかっていたので、気持ちに従ってダイソーへ。

 

すると、ダイソーの入り口に観葉植物が置かれていて、昼頃にホームセンターで見たあの名前がわからなかった観葉植物がそこにあった。種類の名前はペペロミアというらしかった。

 


この出来事をメモしながら少し考察していた。
私が思った疑問「この植物の名前は何?」を潜在意識が受け止めて、その答えを見せる為に、私に行動意欲を起こしたのだろうか?

 

 

そんなことを考えていたら突然考えが頭の中に入って来た。
お風呂やトイレや運転中に突然思いつくような、あの直感の感覚だった。

 

「行動意欲や情熱というものは思考が現実化する際に必要な行動の燃料として沸き上がってくるものである。」

 

「心の中で何かに意識をある程度集中するとそれは現実になるが、それが物質界で現実になるためにはほとんどの場合、誰かの行動という手助けが必要となる。その行動を起こさせる為に行動意欲が現れるのだ。」

 

というもの。

 

この気づきによって、私がイラストレーターとして活動する為の行動意欲や情熱がどこかへ行ってしまった理由もわかった。

 

実は、私がイラストレーターとしての情熱が消えてしまったことに気づく前、私の興味、私の意識は作品を描くことから外れて、神秘哲学や真理などの本を読んで情報を得ることに変わっていたのだ。

 

おそらくそれが理由だと思われた。

 

次に描くこと、イラストのアイデアにを出すことに意識を向けず、十分に考えることをしなくなったので、思考を現実化させる力が起こらず、その為の情熱が出て来なくなっていたというわけだ。

 

 

同じことを言うようだけどつまり


行動意欲や情熱というものは、出そうと頑張るものではなくて、意識を向けたものが物質界に現実化するのに必要な人間の行動を起こすために沸き上がってくるものなのだ。

 

なので、もし情熱が無かったり、行動する意欲が出て来ないということがあるなら
それは、その対象(やりたいこと)に意識を十分に向けていないから情熱が出てこないということ。

 

行動意欲や情熱を出したいなら、その前にその対象(やりたいこと)に意識を強く向けて十分に思考すること。

 

意識を向けられ思考された対象は、やがて現実化するべく、まず行動を起こさせようとして行動意欲や情熱として出てくる。

 

ということなのだろう。私にとっては謎が溶けた瞬間だった。

 

 

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これはまだ私の中では半分しか確認できていない1つの仮説なのだけれど、これを読んでいる誰かをスランプから抜け出させる足がかりになるかもしれないと思って記事にしてみました。

私も試してみてほぼ確信となった時また記事にして共有しようと思います。

 

 

 

【スピ日記】”心の土壌に種を蒔く”の土壌の性質を気にかける。

 

ひななぎでございます。今回はスピ本で目にする”心の土壌”についての考えが直感的に降りてきましたのでそれについて少し記録してみました。

 

この記事は23年9月08日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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”思考が現実化する”系の、思考の力、意識の力(呼び方はなんでも良い)に触れる本を読むと思考という種を育てる為の”心の土壌”という考えが出てくるのに気づいた。

 

時々出てくるこの表現、恥ずかしい話最近までなんのことかあまり理解できていなかった。

 

ある対象、ある思考に、強く意識を集中して考え続け、潜在意識に刷り込むのに成功するとそれはやがて現実となり自分の目の前に現れてくる。

 

私は、このとき意識が集中されたものが”種”で、潜在意識が”心の土壌”だと思っていた。

 

たぶんそれはあっていると思う。


潜在意識のカバー領域は広すぎるので、思考の種がどこに埋められるかはわかっていないけれども。最近読んだ仏教系の本ではそこは「アラヤ識」と説明されていた。


私は今までこの”心の土壌”の性質を気にすることがなかった。

 

 

”思考が現実化する”系の願望実現の体験談を探してみると、成功した人と失敗した人が別れるのがわかる。


これは、思考したことが現実になるということを信じきれておらず疑ってしまっている。という理由もあると思う。

 

でも、もう1つ理由があるのではないかとちょっと思った。

 

それが、いつも心がポジティブかネガティブかの違いではないか?


つまり、蒔く種に合わせた土壌になっているかどうか。


ポジティブな嬉しい出来事や経験をしたくて、思考に意識を集中して、心にポジティブな種を蒔いたとして、心の土壌はそのポジティブな種が芽を出すに適した性質なのだろうか?心はポジティブだろうか?

 

ということ。

 

 

種の性質と土壌の性質が合わなければ、もちろん種は芽を出さない。

 

 

ポジティブな願望という種が現実化する為には、ポジティブな心という土壌が必要。


ネガティブな思いという種がやがて現実化して自分を害する為には、ネガティブな心という土壌が必要。

 


思考が現実化する系の本が時々言う”心の土壌”という例えは、おそらくこのことを言っているのだろうと思った。

 

 

潜在意識に刷り込んだ種が芽を出すためにはまず、心の土壌の性質を気にかける必要があるのだ。

 


嫌みではないけれど、本のレビューなどで、思考が現実化する系のメソッドを実践したのに効果が無かったと話しているレビューを見かけると、だいたいは文章にネガティブな雰囲気を感じたりするんだけれど、もしかしたらその人はポジティブを願い、それが現実化することをある程度信じるまでは出来ていたが、心がネガティブに偏っていたのでので叶わなかったのかもしれない。

 

逆に「私も成功した!」と書き込んでいる人の文章は、どこかキャピキャピ、キラキラしているというか、子供のような快活さ、目の輝き、明るさ、というものが文章からも感じることが多いような気がする。

 

これは種を蒔いた土壌の違いを感じさせる。

 

 

今、自分が意識を集中している対象は、ポジティブな種だろうか?ネガティブな種だろうか?

 

そして普段の心の状態、心の土壌は、ポジティブだろうか?ネガティブだろうか?

 

 

 

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今回話した考えは、”心の土壌”という例え話についての補足になりそうだったので記事にしてみました。

ようは、宇宙の法則である引き寄せの法則によって、似たようなものが引き寄せられ、相反するものが反発して離れていっているので、これが心の土壌という例えになるのかもしれませんね。

 

 

 

 

潜在意識に疑問を伝えて答えをもらう簡単な方法まとめ



ひななぎであります!今回は題名にあることについて、私の中でもう確信となりましたのでその方法を共有しようかとおもっています!

 

※この記事は23年7月12日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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私にとってこれはもう確信していることなので、この記事を読んでいる皆様にもオススメしたい。

 

「あれって何だっけ?」「あれってなんていう名前だっけ?」
※こういう思い出せそうで思い出せない現象をベイカーベイカーパラドクスというらしいです。

 

という感じで思い出せないことがあったとき、3分ほど深く考えた後に答えを出さずに考えることを止めると、忘れた頃に潜在意識が答えを出してくれる。

 


答えを出してくれるのは30分後か、2日後か、1週間後か、、それはわからないけれど。とにかく忘れた頃に。

 

でも質問したことを記憶として覚えている間には答えをくれる。

 


潜在意識に質問の答えを出してもらうにはコツがいくつかあるように思える。
私が感じているコツはこの3つ。もっと詳しい人の知識ではもっとあるかもしれない。

 

 

①質問が潜在意識に浸透するように強めに考えること。


これは「あれって何だっけ?」と軽く疑問に思って終わりではなく「ん”ん”ーー、、あれって何だっけ?何だったっけ?」と強めに、複数回質問を繰り返す。


強めに考えることで質問が、潜在意識に伝わって答えを検索してくれる。

 

潜在意識に入ったという判断は、「これ以上考えなくてもいいかな、、」という感じがしたとき。

 

 


②質問の答えを「わからない」にしてしまわないこと。


例えば「あれって何だっけ?」という質問に「わからないや」と考えることは「質問の答えは「わからない」です。」と言っているようなものなので、わからないと結論づけてしまうと潜在意識はもう答えは出たものだと判断してしまうので、これでは潜在意識には質問できない。

 

 


③質問を諦めないこと。


質問を深く考えた後に「もういいや」と諦めてしまうことは、質問をキャンセルしたことになるので、潜在意識は答えを出しにくくなる。質問を深く考えた後に疑問が残っているまま諦めずに「潜在意識に任せようか」と丸投げして、別の事を考え始めると良いみたい。

 

 

そして潜在意識からの答えが来るときはあらゆる方向からくる。


単に頭の中に突然答えを思いついたり、夢の中で見たり。youtubeSNSで答えを見るかもしれない。


テレビの番組内特集で見るかもしれないし、すれ違った他人の会話の中に答えがあるかもしれない。本当にどこからでも答えが来る。

 

なので質問の答えがどこかにないか注意していると見逃さないので良いかもしれない。
ただ、忘れた頃に突然来るというのがままあるので、答えを聞き逃すまいと気を張らないように、ゆる~く待つ。

 


質問は悪意が無ければだいたい何にでも使えるみたい。
(潜在意識は波動が高く、破壊的な思考や悪意は波動が低いので、波動が合わないために上手くいかないのかも。)

 

 

「家で無くしたアレは今どこにあるの?」
「ほしいものがあるけれどどこに売っているだろうか?」
という些細なことにも使えるし

 

「就活で気になる企業がいくつかあるけれど、どこが良いだろうか?」
「私は今後どんな活動をして生きていくのが良いだろう?」
という人生の分岐という大事にも使える。

 

 

という感じで、潜在意識に質問を投げかけるのはとても便利。

是非ともおすすめしたい。

 

 

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潜在意識は、人々の集合意識にも繋がっているので、他人の思考を知っていてその人がこの後何をするかも知っていて、直近の未来も知っている。

 

更に潜在意識はyoutubeSNSの投稿からも質問の答えをくれるということは、人間のような意識を持っていない無いはずのコンピュータシステムが何をしているのかも知っている。

 

という驚異的なことでもある。

こういうことを考えていくと、潜在意識は私たちの根本、すべてに繋がっていることがわかることなのだけれど、これはまた別の機会に思い立った時に書いてみようかと思う。