【スピ日記】"誰かの教えを鵜呑みにしない"ということ

 

こんばんは、ひななぎです。今回はスピな本を読んでいると時々冒頭に注意される「教えを鵜呑みにしない」について、私の考えを綴ってみました。

 

この記事は23年11月28日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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「”教えを鵜呑みにしないこと”」

 

スピリチュアルな本を読んでいると、時々こういう注意書きが冒頭にあることに気づく。特に、著者の知識が深いほどこういった注意書きがあることが多いように思える。

 

当時まで知識があればあるほど良いと思っていた私は、この言葉の意味をよく理解できていなかった。(今もしっかり理解できているかは怪しいのだけれど。笑)

 

しかし、最近になって世界がもしかしたら、1人1人に与えられているのでは?と思うようになった。


どういう理論かと言うと、この文章を書いている私は私が見たい世界を見ていて、この文章を読んでいるあなたはあなたで、自分が見たい世界を見ている。つまり、個別に違った世界を見ている。という考え方。

 

私がこの考えに至ったのは複数の本からのうけおりなのだけれど、最近見つけてわかりやすいと思った方としては、はせくらみゆきさんという方を調べてもらうと、見たい世界を見ているという考え方がわかりやすくなると思う。

 


こういう「1人1人が世界を見たいように見ている」ということを考えているときに
「”教えを鵜呑みにしないこと”」という言葉が何を言おうとしているのかがわかったような気がした。

 

 

もし1人1人が個別の世界を見ていて、見たいように世界を見ているのだとしたら、、?

 

 

例えば「引き寄せの法則はあります」という人の著書を読んで、「なるほど、、そういう法則があるんだ!」と信じたら、その人の世界に引き寄せの法則が現れ始める。

 

逆に「胡散臭い。そんな都合の良いことは無い」と信じたら、その通り、その人の世界にそんな法則は見当たらない。人は見たい世界を見ているから。

 

 

もっと過激な例で言うと「人生にはカルマの法則がある」と教えられそのまま信じてしまったら、その人の世界にはカルマの法則が存在し、人生は過去生からのやられやり返されという縛りがある世界を見てしまう。

 

「世界は争いが絶えない」と教えられ信じてしまったら?まさにその人の世界には争いの種があることになってしまう。

 


これらは逆にポジティブで平和な世界や、人生に都合の良い法則を信じれば、その人の世界は明るくなっていくということでもあるけれど、上記のような争いや苦しい法則の存在があると教えるなら、教える前に「”教えを鵜呑みにしない”」と注意されるのも頷ける。

 

 

今の私の考えは、だけれど。


スピリチュアルなリーダー達がこうやって時々注意書きを入れるのは、教えを鵜呑みにすることの影響を鑑みてのことだと思った。

 

 

「”真実は1つではない。この世界では1つだけれど、あなたの世界では違うかもしれない”」

 

 

なので、何か教えを受けるときは、十分に疑うこと。疑って吟味して、違和感あるなら信じない。


でも都合の良い教えは次々信じていって、自分が見ている世界を明るくすること。こういう動きが大事かも。

 

 

 

「では、他のリーダーと一致しない意見を言っているスピリチュアルリーダーは噓を言っているの?」


と思うかもだけれど、そうではなくてその人にとっての真実を言っているのだと思う。

 

「”教えを鵜呑みにしない”」と注意を入れてくれているのは、言葉を聞く人が何でもかんでも信じてしまわないように注意書きをつけてくれているのだろう。

 

 


もちろん、この文章も私の今までの記事も鵜呑みにせずに十分疑ってほしい
信じる信じないで見る世界が変わるかもしれないのだから。