【スピ日記】行動意欲は過去の思考の結果として沸き起こる説

 

ひななぎでございます。今回は行動意欲や情熱はどうやって出すのか?についてやっと答えが得られましたので共有しようかなと思っています。

とはいえ、まだ仮説段階ですので、こういう考えもあるんだなぁって感じのゆるい気持ちで読んでくれると嬉しいです。

 

この記事は23年10月14日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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私はイラストレーターとして稼いで生きていこうと思っていたのだけれど
ある時期から行動意欲というか情熱が自分の中に無くなっているのに気づいた。

 

噓っぽく聞こえると思うが、イラストサイトpixivでは4.5万人もフォロワーがいてくれているのに、ここにきてイラストを描く気分にならなくなってしまった。

 

情熱が無くなると、活動するのがすごく嫌な気分だ。


嫌というよりは身体が重い感じ。どこか心の中にブレーキがあるような、やりたくないと感じているのがわかる。

 

私は現在実家に住んでいるから、生活がピンチと言うほどではないけれど、これは正直危ないようにも思えた。

 

イラストレーターなのに描かなくなってしまえばそれはもう稼ぎにならないし、描かないブランクが長くなればなるほど、画力が落ちてしまうのではないか?画力が落ちてしまえば、稼げなくなってしまうのではないか?そんな懸念があった。

 

 

ということで情熱を出したいのだけれど、どうやって出すのだろう?

 

 

行動を促すような内容が書かれている自己啓発書や行動心理学書を何冊か読んでみたけれど「情熱を出そう!」「情熱を出して事にあたれば上手くいく!」というような内容が多かった。

 

 

で、どうやって情熱を出すの?

 

 

恥ずかしながらそれから答えが出ずに数ヶ月たってしまった。


答えが出るまでにとても長くかかってしまったのは、真剣に考えていなかったからだと思う。

 

強めに考えた疑問は潜在意識に入り込み、ふとしたタイミングで直感的に答えがもどってくるのはわかっていたのだけれど、私はとある理由から強く考えることをしていなかった。

 

というか、ほぼ何もしない毎日を気分転換のつもりで楽しんでいたのかもしれない。

 

 

あるとき、些細な出来事があった。

 

ある日の昼時。ホームセンターのガーデニングコーナーで、名前が書かれていない観葉植物が売られていた。

 

値札しかついていない。カポックに近いように見えるけれど葉が丸い。

 

「なんという植物なのだろう?」すこしの間そのことを考えていたが結局答えはわからず。

 

その日の午後、車を運転中に急にダイソーへ行きたくなった。

予定は特に無かったのに。


ただ、こういう突然出てきた気持ちは直感的なものが多いとわかっていたので、気持ちに従ってダイソーへ。

 

すると、ダイソーの入り口に観葉植物が置かれていて、昼頃にホームセンターで見たあの名前がわからなかった観葉植物がそこにあった。種類の名前はペペロミアというらしかった。

 


この出来事をメモしながら少し考察していた。
私が思った疑問「この植物の名前は何?」を潜在意識が受け止めて、その答えを見せる為に、私に行動意欲を起こしたのだろうか?

 

 

そんなことを考えていたら突然考えが頭の中に入って来た。
お風呂やトイレや運転中に突然思いつくような、あの直感の感覚だった。

 

「行動意欲や情熱というものは思考が現実化する際に必要な行動の燃料として沸き上がってくるものである。」

 

「心の中で何かに意識をある程度集中するとそれは現実になるが、それが物質界で現実になるためにはほとんどの場合、誰かの行動という手助けが必要となる。その行動を起こさせる為に行動意欲が現れるのだ。」

 

というもの。

 

この気づきによって、私がイラストレーターとして活動する為の行動意欲や情熱がどこかへ行ってしまった理由もわかった。

 

実は、私がイラストレーターとしての情熱が消えてしまったことに気づく前、私の興味、私の意識は作品を描くことから外れて、神秘哲学や真理などの本を読んで情報を得ることに変わっていたのだ。

 

おそらくそれが理由だと思われた。

 

次に描くこと、イラストのアイデアにを出すことに意識を向けず、十分に考えることをしなくなったので、思考を現実化させる力が起こらず、その為の情熱が出て来なくなっていたというわけだ。

 

 

同じことを言うようだけどつまり


行動意欲や情熱というものは、出そうと頑張るものではなくて、意識を向けたものが物質界に現実化するのに必要な人間の行動を起こすために沸き上がってくるものなのだ。

 

なので、もし情熱が無かったり、行動する意欲が出て来ないということがあるなら
それは、その対象(やりたいこと)に意識を十分に向けていないから情熱が出てこないということ。

 

行動意欲や情熱を出したいなら、その前にその対象(やりたいこと)に意識を強く向けて十分に思考すること。

 

意識を向けられ思考された対象は、やがて現実化するべく、まず行動を起こさせようとして行動意欲や情熱として出てくる。

 

ということなのだろう。私にとっては謎が溶けた瞬間だった。

 

 

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これはまだ私の中では半分しか確認できていない1つの仮説なのだけれど、これを読んでいる誰かをスランプから抜け出させる足がかりになるかもしれないと思って記事にしてみました。

私も試してみてほぼ確信となった時また記事にして共有しようと思います。