【スピ日記】シュレディンガーのねこに当てはめて考える世界の可能性と現実化
今回も私の独り言。確認しようがない以上ただの肥大妄想かもしれない。
でも、どこからかこういった考えが出てくる。それをただ記録しているような感じ。
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「シュレディンガーの猫」はとてもよく知られた思考実験の1つ。
簡単に説明すると、猫と猫が動いたら猛毒が出る装置を中が見えない箱に入れて、少ししたら箱を開ける。果たして、箱の中の猫は死んでいるだろうか?というもの。
思考実験なので実際にはやっていないと思うけれど、ちょっと怖い考え方だなぁ。
この思考実験で何が言いたいのかというと
私たちに観測されるまで猫が死んでいるか生きているか、どちらの可能性もあり、私たちが見るまで結果は確定していない。ということを言いたい思考実験らしい。
wikiのまとめを見てみると、もっともっと難しい話で私もしっかりとは理解していないのだけれど、そんな感じ。
「これを私たちの人生と思考の力に当てはめて考えられるかも」
なんてシャワーを浴びながら思った。いつもながらお風呂は不思議な考えが降りてきやすい。
私たちの未来は、箱に入れられた猫のように多数の可能性が重なっていて確定していないのだとしたら。
先ほどの思考実験的に言うなら、未来を確定させるには観測しなければならない。
未来は来るまで観測できないように思えるけれど
もしかしたら未来は思考によって観測できているのではないだろうか?
よく”思考は現実化する”と言われているし、私も思考の後に思考したことが現実として目の前に現れるのを何度も目撃している。
もちろん考えても現実として現れないこともたくさんあるけれど、強く長く考えたことはとくに現実化したのを見てきた。
このことを考えると、”思考は未来を観測している”のかもしれない。
まだありえていない未来を観測することで確定させている。みたいな。
”考えられることは現実化することができる”
ともよく言うけれど、未来をイメージしてみるとたくさんのことを想像できるなら、それだけ未来には可能性があるということで
その可能性の中から想像を一点にしぼることによって、観測を強めて、それを現実として確定しているのかも。
”思考は未来を観測している”という考えなら、考えたことがすぐに現れないのもうなずける。
観測した地点は未来なので、思考が現実として現れるのはもちろん未来が来てから。
だから考えたことが現実化するまでタイムラグがあるのだろう。
(思考が現実化するときは顕在意識の考えだけでなく、個人の潜在意識の信念や集団意識も現実化するものにに影響するとは思うけど、今回は別としよう。)
未来はたくさんの可能性を含みながらも確定されていない。
けれども"思考によって未来観測"し確定させることができている?
結局、ちょっと視点がズレているだけで、思考の現実化と言っていることは変わらないけれど、これをマスターできれば人生はとても自由になりそうだ。