【スピ日記】”心の土壌に種を蒔く”の土壌の性質を気にかける。

 

ひななぎでございます。今回はスピ本で目にする”心の土壌”についての考えが直感的に降りてきましたのでそれについて少し記録してみました。

 

この記事は23年9月08日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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”思考が現実化する”系の、思考の力、意識の力(呼び方はなんでも良い)に触れる本を読むと思考という種を育てる為の”心の土壌”という考えが出てくるのに気づいた。

 

時々出てくるこの表現、恥ずかしい話最近までなんのことかあまり理解できていなかった。

 

ある対象、ある思考に、強く意識を集中して考え続け、潜在意識に刷り込むのに成功するとそれはやがて現実となり自分の目の前に現れてくる。

 

私は、このとき意識が集中されたものが”種”で、潜在意識が”心の土壌”だと思っていた。

 

たぶんそれはあっていると思う。


潜在意識のカバー領域は広すぎるので、思考の種がどこに埋められるかはわかっていないけれども。最近読んだ仏教系の本ではそこは「アラヤ識」と説明されていた。


私は今までこの”心の土壌”の性質を気にすることがなかった。

 

 

”思考が現実化する”系の願望実現の体験談を探してみると、成功した人と失敗した人が別れるのがわかる。


これは、思考したことが現実になるということを信じきれておらず疑ってしまっている。という理由もあると思う。

 

でも、もう1つ理由があるのではないかとちょっと思った。

 

それが、いつも心がポジティブかネガティブかの違いではないか?


つまり、蒔く種に合わせた土壌になっているかどうか。


ポジティブな嬉しい出来事や経験をしたくて、思考に意識を集中して、心にポジティブな種を蒔いたとして、心の土壌はそのポジティブな種が芽を出すに適した性質なのだろうか?心はポジティブだろうか?

 

ということ。

 

 

種の性質と土壌の性質が合わなければ、もちろん種は芽を出さない。

 

 

ポジティブな願望という種が現実化する為には、ポジティブな心という土壌が必要。


ネガティブな思いという種がやがて現実化して自分を害する為には、ネガティブな心という土壌が必要。

 


思考が現実化する系の本が時々言う”心の土壌”という例えは、おそらくこのことを言っているのだろうと思った。

 

 

潜在意識に刷り込んだ種が芽を出すためにはまず、心の土壌の性質を気にかける必要があるのだ。

 


嫌みではないけれど、本のレビューなどで、思考が現実化する系のメソッドを実践したのに効果が無かったと話しているレビューを見かけると、だいたいは文章にネガティブな雰囲気を感じたりするんだけれど、もしかしたらその人はポジティブを願い、それが現実化することをある程度信じるまでは出来ていたが、心がネガティブに偏っていたのでので叶わなかったのかもしれない。

 

逆に「私も成功した!」と書き込んでいる人の文章は、どこかキャピキャピ、キラキラしているというか、子供のような快活さ、目の輝き、明るさ、というものが文章からも感じることが多いような気がする。

 

これは種を蒔いた土壌の違いを感じさせる。

 

 

今、自分が意識を集中している対象は、ポジティブな種だろうか?ネガティブな種だろうか?

 

そして普段の心の状態、心の土壌は、ポジティブだろうか?ネガティブだろうか?

 

 

 

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今回話した考えは、”心の土壌”という例え話についての補足になりそうだったので記事にしてみました。

ようは、宇宙の法則である引き寄せの法則によって、似たようなものが引き寄せられ、相反するものが反発して離れていっているので、これが心の土壌という例えになるのかもしれませんね。