【スピ日記】考え方が少し違うだけで現実化の速度が違うと気づく些細な話
サムネに使おうと撮影した写真、ブログサボりすぎてもう4ヶ月たってるーー!
スピ日記でございます。今回はとっても些細な話から感じた現実化の早さの違いです。しっかり実権したわけではなく憶測したことなので、ただの肥大妄想かも?
この記事は23年5月10日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
思考の力、イメージの力を使った現実創造のテクニックを話す先人たちは「イメージするときは理想の状況を事細かにありありと想像すること」と言う。
国も宗教も違う先人たちが同じことを言っているので、本当に効果があるのだと思う。
私も”ありありと想像する”というやり方で実際に何度か願いを叶えたことがある。
この"ありありと想像する"ということで、精神界に物質化前のしっかりした鋳型を作ったり、もしくは潜在意識にすり込んだりしているのだろう。
それはそうとして、私が経験したとってもとっても些細な現実化の話をしようと思う。
私がいつも利用しているスーパーの駐車場から車で出ると、唐揚げの専門店がある。
なんだかよくわからないけれど、日本一になったこともある唐揚げらしい。日本一になったことある唐揚げ店っていっぱいあるようなきがするけど気のせい・・?
最近菜食メインにしようと意識していて、お肉お肉している食べものは避けるように意識していたのに、さすがにこの唐揚げは美味しそうで食べたい。
でも、スーパーの駐車場から出てすぐ左にあって、私の家は右側の道路を行った先にあるので、駐車場から出たときその唐揚げ店を横目に見るけれど方向が逆なので、唐揚げ店にはちょっと面倒なので行かない。
どうやら私はその唐揚げに意識を惹かれてしまっていたようで、唐揚げ店を横目に見る度に「食べたいかも」と思ったり食べているところをイメージしていたりした。
すぐに運転に集中しなければならないので、唐揚げをイメージしている時間は1回でたった10秒ほど。
私の今までの経験から、たった10秒でも意識を引かれたり集中したものは、潜在意識的な信念のブロックが無いような些細なことであればすぐに現実化してくるのはわかっていた。
それから1回唐揚げ店を見るたびに思い出して10秒ほどイメージするということを続けてしまい1ヶ月。まだ私の目の前には現れてこなかった。
いや、私が直接買いに行けば即座に現実となったとは思うけれど、お肉お肉している食べものを避けるという食生活を意識している以上、自分から取りにいくことは気が引けたのでしなかった。
ある日、またスーパーの駐車場から出て唐揚げ店をちらっと見ると、店員さんが同年代に見える人たちと店の前で談笑していた。
お酒を飲んでいる人も見えたので、おそらくこの人たちは店員と談笑しながら何時間も店前にいるだろう。客が店前でたむろしていてしかも店員さんが楽しそうに話しているときは、どう注文したら良いのだろうか?そんなことを考えた。
私「今注文いいですか?楽しそうなので水をさしたら悪いかなって思いまして」
店員「大丈夫ですよ!何にしますか?」
私「じゃあ骨なし唐揚げを1セットお願いします~」
店員「○○円ですね〜。10分ほどお待ちください!」
このようなやりとりがこの時初めて私の中でイメージされた。
今まではよくて唐揚げを食べるところだけしかイメージしていなかったが、この時は店員さんに声をかけるシーンから何を注文するかまでハッキリとイメージされた。
すると、ちょうどその次の日。
父が突然私にお金を渡してきて、その唐揚げ店の唐揚げが食べたいので2セット買って来てと私に依頼してきた。
これは私からみるとかなり奇跡的なことだった。
何故かというと、父は変化を好まない人であり、外食なら沖縄そばかケンタッキーしか食べようとしないし、唐揚げを食べたいならスーパーの惣菜か、家で自分で作る。
父曰く変化をつけてはずれを引くのが嫌らしい。
私が思うにそうではなく、父の中にはいつもと違う行動をするのに大きな抵抗があるように見えるけれど。
そんな変化を嫌う父が、変化をつけて店の唐揚げを食べたいと言った。
私が唐揚げを買うイメージをした翌日のこのタイミングで。そして父は唐揚げを1セットしか食べなかったので、残りをもらうことができた。
これも現実化だとすぐに気づいたので、少し考えてみた。
1ヶ月ほど唐揚げを食べるイメージを10秒くらいしていたけれど、その間は変化は起きずにいた。店員さんと話をし注文するという詳細なイメージ少しした次の日に唐揚げは現実化した。
前者は食べるシーンだけなのに対して、後者は状況や他者の存在、会話、買うという意思、など多くの要素が合わさっている。
ということは、先人たちが言うように”ありありと想像する”ということが、やはりよりスムーズに思考が現実となる要因なのだろうと思った。
唐揚げを食べるシーンのイメージだけでも、思考の力によって現実化する為のエネルギーは溜まっていくとは思うけれど、いろんな要素を組み合わせて詳細にイメージすることが、より強く多くエネルギーを溜める要因なのかもしれない。
この話はあまりにも些細なことすぎて、考察するにはあたらないと思ってしまうかも。笑 でも私にとってこの些細な出来事は"ありありと想像すること"の意味を再確認させられた出来事だった。
もしこれを健康面に使ってみたらどうだろう?
「私は健康であり活力をもって生き生きしている」
とだけイメージするのと
「私は健康であり活力をもって生き生きしている。今私はハイキングに来ていて機敏に身体を動かしている。すれ違う人と挨拶を交わしている。汗をかいているが、自然に囲まれて空気が良くて気持ちがいい」
というようにありありとイメージするのはどちらが良いだろうか。
ビジネス面に使ってみたらどうだろう?
「私は高所得者だ」
とだけイメージするのと
「私は高所得者である。会社をいくつも持っていて、従業員を多く雇っている。よく会議を行ってアイデアの擦り合わせを行っている。どうすればより多くの人に喜んでもらえるか今も考え中だ」
というようにありありとイメージするのはどちらが良いだろうか。
こういうことを考えると今後の人生が楽しみになってくる。