【ちょっと昔のスピ本レビュー】『心の力の秘密』R・E・デーヴィス著 谷口雅春+伊藤正 共訳

 

ひななぎであります!ちょっと昔のスピ本レビュー第4回目です!今回も私が素晴らしかったと感じた本をご紹介いたします!

 

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『心の力の秘密』R・E・デーヴィス著 谷口雅春+伊藤正 共訳


今回ご紹介したいこの本は新版で、1998年7月25日 新版初刷発行。ちょっと古い?


日本語訳の新版なので、旧版はもっと古い時期に発行されています。

 

2023年8月現在ではAmazonでの出品もございました。

Amazonでは新品もありましたし中古もいくつかございました。

 

Amazon内のレビュー平均得点は3.9だったのですが、私の感想ではかなり良い本でしたよ!


↓この本のAmazonページ↓

www.amazon.co.jpアフィリエイトではないのでご安心ください。

 

 

この本は簡単に言うと「心に描くあらゆるイメージが自分の環境や経験などの現実を作っているのだ」ということを何度も述べることで読者に叩き込む。といいますか、気づかせるような本でした。

 

 

まずは本の目次をご紹介しますね。

 

・訳者はしがき
・第一章 個人が成功するための定則
・第二章 創造的想像力を駆使する法
・第三章 想像力の目覚め
・第四章 心の緊張を解く方法
・第五章 苦しい過去の体験の記憶を浄めるには
・第六章 端坐して創造の本源の世界に入る
・第七章 内からの導きを受けるには
・第八章 金銭ーーその本質は何か、又金持ちになるためには
・第九章 アイデアを実現するには
・第十章 ヴェールを脱いだ神秘の世界
・第十一章 質問に答える
・第十ニ章 世界はあなたのもの

 

全341ページで構成されており、ボリュームもあります。

 

 

すべての章で”心の中に描いたイメージが現実となる”ということを事例を含めて繰り返し述べてくれています。


読む人によっては「同じことを言ってページ数を稼いでいる」なんて言いそうですが、そうではなく繰り返し述べることで、読者の記憶にしっかりとすり込む意図があると思いました。

 

本を読んで感銘を受けたのに、一通り読み終わったら、あれ?結局なんなんだっけ?ということがあると思いますが、この本に置いてはそういうことはなく、重要な部分はしっかりと記憶できると思います。


どうやったらより上手く心の中でイメージできるのか、というような「どうしたらいいの?」の部分もしっかり書かれています。よくある「心の中でしっかりイメージしたらそれでいいのです!」というような、説明不足がほどんどないところも素晴らしいです。

 

また、著者は数々の成功者と知り合っており、その成功者たちがどのような過程をへて成功したのか、その共通点やテクニックを複数本の中に記載してくれています。「私がこれで成功したのでこれをやればOKです!」ではなく「私もあの人もこの人も他の人もこの方法を使っています」というような感じで、著者1人の体験談だけでないことが嬉しいところですね。

 

 

第四章と第五章で、心の緊張を解きリラックスすること、過去の記憶のしがらみから解放されることの方法を述べています。

 

この項目は浅いスピ本では忘れられがちですが、このリラックスできなれけばイメージによる創造も上手くいかないですし、過去のしがらみがあれば現実となる内容が歪んだりしてしまうので、この章はその辺りをカバーしてくれています。

 

第六章と第七章で、自分の深い部分。内側から導きを受けることを学べます。

 

自分の未来を何となくこう生きたいといううっすらとした望みはあっても、まずどうしたらいいかもわからないので、心にイメージしようとしてもできない。だとか、今後の人生の方向性はAとBどちらがいいのか決めきれないのでイメージできないというようなことを、導きによってカバーできたりすることが記載されています。

 

第十一章では、著者が読者からの質問に答えたものでかゆいところに手が届くといった感じがあります。

 

 

ここからはちょっとだけ本の一文を引用してご紹介。
※”―――”は言葉がこのあとに続いたり、引用するにあたってカットした部分です。

 

”心を支配する技法を実践するとき、――それが既に現実であると自覚するほどの強烈なる感情を伴って想念の舞台に出演しなければならぬのである。さもないと単なる―――”

 

このように、願望現実化の為に心の中でイメージをするときのやり方から、失敗する理由も説明してくれています。引用していませんが、本の中にイメージがやりやすくなるテクニックもあったり。

 

 

"宇宙のスペースを満たしているエーテルは、無数のアイデアで溢れているのである。―――即ち我々の心が開いて受け入れ態勢になっておれば、それらのアイデアを受けることができるのである"

 

エーテルというような若干スピリチュアルな方面からの説明もでてきます。

そしてスピリチュアルな面と調和することができれば、上記の引用のようにアイデアを受け取ることができると述べています。

 

導きを伴う直感はあらゆる方向から来ることはスピな知識をお持ちの方はご存知かもしれませんが、著者も事例を含めて直感の重要性を書いています。

 

 

”あなたの想念の型を一変させる基本は心の緊張をほぐし、静かに落ち着きを保ち、精神を明晰にすることである。それから―――”

 

過去に無意識のうちに取り入れてしまった想念の癖を、どのようにしたら変えられるのかを丁寧に説明してくれています。


このレビュー記事の上部にも記載しましたが、過去のネガティブな信念をもったままイメージの力を使って望みを現実化しようとすると、歪んだ現実化のしかたをすることが多々あるのですが、そういう邪魔になるであろう過去の信念を書き換える方法も述べられています。

 

 

私は本を読むときに重要だと思った部分には付箋紙を貼るのですが、本が付箋紙だらけになりました。笑


それほど次から次へと重要なことを述べている本です。全体的に素晴らしい本だと感じました。

 


最後にちょっと気になる点をお伝えしますと、話言葉の固さでしょうか。


「○○であるからして」「○○なのである」というような、例えるなら論文のような言葉使いと、文章の中に漢字が多いような気がします。

 

難しい漢字にはよみがながふられていますし、文章の内容はすごくわかりやすいのですが、論文のような固さを感じますのである程度読むことに慣れている方向けだと感じました。

 

現代スピリチュアル系のキラキラした雰囲気の本ばかり読んでいる方にはちょっと堅苦しく感じるかも、、!?

 

あと、この本を手に取る方には不要な心配かもしれませんが、瞑想や直感や自分の本質などのちょっとスピリチュアルな話が出てきますので、スピな話をされても受け入れられる方である必要もあるかと思いました。

 

上記の2つが気にならなければ素晴らしい一冊となると思います。

 

 

思考の力、イメージの力にまだ気づいていない方。

この分野に興味がありそれらの実践法を知りたい方。

人生をコントロールするテクニックを知り、人生への意欲や熱意を再燃させたい方。


などに是非オススメしたい本です。

 


この本の中でも話されていますが、人生をより良く変える法則を力強く語る本は、読み返すと力を分けてくれて「大丈夫自分ならやれる!」「まだ頑張れる!」というような熱意を再燃させてくれるそうです。

 

この本もまさにそのような力を持っている本で、読んでいると人生がよくなっていく兆しを感じ、心が生き生きとしてくる本でした。

 

 

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最近、通販サイトのレビューがそんなに高くなくても素晴らしい本はあると思いはじめてきました。読む人によって感じ方が違うので場合によって評価点が偏ってしまうことがあるのでしょうね。

読んでくださりありがとうございました!これからもときどき古いスピ本を発掘してご紹介していくと思いますので、よかったらまた覗きにきてくださいませ~!

 

 

 

 

 

【スピ日記】考え方が少し違うだけで現実化の速度が違うと気づく些細な話

サムネに使おうと撮影した写真、ブログサボりすぎてもう4ヶ月たってるーー!

スピ日記でございます。今回はとっても些細な話から感じた現実化の早さの違いです。しっかり実権したわけではなく憶測したことなので、ただの肥大妄想かも?

 

この記事は23年5月10日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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思考の力、イメージの力を使った現実創造のテクニックを話す先人たちは「イメージするときは理想の状況を事細かにありありと想像すること」と言う。

 

国も宗教も違う先人たちが同じことを言っているので、本当に効果があるのだと思う。
私も”ありありと想像する”というやり方で実際に何度か願いを叶えたことがある。

 

この"ありありと想像する"ということで、精神界に物質化前のしっかりした鋳型を作ったり、もしくは潜在意識にすり込んだりしているのだろう。

 

 

それはそうとして、私が経験したとってもとっても些細な現実化の話をしようと思う。

 

私がいつも利用しているスーパーの駐車場から車で出ると、唐揚げの専門店がある。
なんだかよくわからないけれど、日本一になったこともある唐揚げらしい。日本一になったことある唐揚げ店っていっぱいあるようなきがするけど気のせい・・?

 

最近菜食メインにしようと意識していて、お肉お肉している食べものは避けるように意識していたのに、さすがにこの唐揚げは美味しそうで食べたい。

 

でも、スーパーの駐車場から出てすぐ左にあって、私の家は右側の道路を行った先にあるので、駐車場から出たときその唐揚げ店を横目に見るけれど方向が逆なので、唐揚げ店にはちょっと面倒なので行かない。

 

どうやら私はその唐揚げに意識を惹かれてしまっていたようで、唐揚げ店を横目に見る度に「食べたいかも」と思ったり食べているところをイメージしていたりした。

 

すぐに運転に集中しなければならないので、唐揚げをイメージしている時間は1回でたった10秒ほど。

 

私の今までの経験から、たった10秒でも意識を引かれたり集中したものは、潜在意識的な信念のブロックが無いような些細なことであればすぐに現実化してくるのはわかっていた。

 

それから1回唐揚げ店を見るたびに思い出して10秒ほどイメージするということを続けてしまい1ヶ月。まだ私の目の前には現れてこなかった。

 

いや、私が直接買いに行けば即座に現実となったとは思うけれど、お肉お肉している食べものを避けるという食生活を意識している以上、自分から取りにいくことは気が引けたのでしなかった。

 

 

ある日、またスーパーの駐車場から出て唐揚げ店をちらっと見ると、店員さんが同年代に見える人たちと店の前で談笑していた。


お酒を飲んでいる人も見えたので、おそらくこの人たちは店員と談笑しながら何時間も店前にいるだろう。客が店前でたむろしていてしかも店員さんが楽しそうに話しているときは、どう注文したら良いのだろうか?そんなことを考えた。

 

私「今注文いいですか?楽しそうなので水をさしたら悪いかなって思いまして」
店員「大丈夫ですよ!何にしますか?」
私「じゃあ骨なし唐揚げを1セットお願いします~」

店員「○○円ですね〜。10分ほどお待ちください!」

 

このようなやりとりがこの時初めて私の中でイメージされた。
今まではよくて唐揚げを食べるところだけしかイメージしていなかったが、この時は店員さんに声をかけるシーンから何を注文するかまでハッキリとイメージされた。

 

 

すると、ちょうどその次の日。


父が突然私にお金を渡してきて、その唐揚げ店の唐揚げが食べたいので2セット買って来てと私に依頼してきた。

 

これは私からみるとかなり奇跡的なことだった。


何故かというと、父は変化を好まない人であり、外食なら沖縄そばかケンタッキーしか食べようとしないし、唐揚げを食べたいならスーパーの惣菜か、家で自分で作る。

 

父曰く変化をつけてはずれを引くのが嫌らしい。

私が思うにそうではなく、父の中にはいつもと違う行動をするのに大きな抵抗があるように見えるけれど。

 

そんな変化を嫌う父が、変化をつけて店の唐揚げを食べたいと言った。
私が唐揚げを買うイメージをした翌日のこのタイミングで。そして父は唐揚げを1セットしか食べなかったので、残りをもらうことができた。

 

 

これも現実化だとすぐに気づいたので、少し考えてみた。

 

1ヶ月ほど唐揚げを食べるイメージを10秒くらいしていたけれど、その間は変化は起きずにいた。店員さんと話をし注文するという詳細なイメージ少しした次の日に唐揚げは現実化した。

 

前者は食べるシーンだけなのに対して、後者は状況や他者の存在、会話、買うという意思、など多くの要素が合わさっている。

 

ということは、先人たちが言うように”ありありと想像する”ということが、やはりよりスムーズに思考が現実となる要因なのだろうと思った。

 

唐揚げを食べるシーンのイメージだけでも、思考の力によって現実化する為のエネルギーは溜まっていくとは思うけれど、いろんな要素を組み合わせて詳細にイメージすることが、より強く多くエネルギーを溜める要因なのかもしれない。

 


この話はあまりにも些細なことすぎて、考察するにはあたらないと思ってしまうかも。笑  でも私にとってこの些細な出来事は"ありありと想像すること"の意味を再確認させられた出来事だった。

 

 

 

もしこれを健康面に使ってみたらどうだろう?

 

「私は健康であり活力をもって生き生きしている」


とだけイメージするのと

 

「私は健康であり活力をもって生き生きしている。今私はハイキングに来ていて機敏に身体を動かしている。すれ違う人と挨拶を交わしている。汗をかいているが、自然に囲まれて空気が良くて気持ちがいい」


というようにありありとイメージするのはどちらが良いだろうか。

 

 


ビジネス面に使ってみたらどうだろう?

 

「私は高所得者だ」


とだけイメージするのと

 

「私は高所得者である。会社をいくつも持っていて、従業員を多く雇っている。よく会議を行ってアイデアの擦り合わせを行っている。どうすればより多くの人に喜んでもらえるか今も考え中だ」


というようにありありとイメージするのはどちらが良いだろうか。

 

 


こういうことを考えると今後の人生が楽しみになってくる。

 

 

 

 

【スピ日記】人間関係は繰り返している

 

スピ日記でございます。今回は人が変わっても関係は繰り返しているかもという私の独り言。

 

この記事は23年5月10日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。(いつも書きためているメモから掘り起こして書きましたので日付は投稿日よりかなり前なのですがあっています。)

 

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幼少期の両親との関係が、大人になった後にも似たような関係を招くことをある本から知った。

 

母との関係は女性との関係。父との関係は男性との関係。という感じで。


両親との関係だけでなくて、幼少期に影響した兄弟姉妹もそれなりに影響するようにも思える。

 

それだけでなく幼少期からあるトラウマや前世から持ち越した問題などの歪んだ信念に影響されて似たような現実を繰り返している場合もあるようだ。

 

このことを知ってから周りの人の人間関係を見てみると、本当に似たような関係になっているのが見てとれた。

 

 

少しだけ私の周りに居る人の状況を列挙してみる。

 

・私の母は働けるなら働くという精神の持ち主でダブルワークで働きまくり。
 だけれど、私の父の母(祖母)もずっと働きまくりの存在だった。聞いた話だと3つ掛け持ちしてフルで働いていたみたい。

 

・私の幼なじみである友人は、最近奥さんに浮気されてしまった。
 幼少期に見たその友人の家庭環境を思い出してみると、友人の母は複数回パートナーを入れ替えていた。

 

・私の従姉は旦那さんとほぼ離婚状態になっていながらも、養育費の問題なのか、まだ離婚していない。
 この従姉の父の性格はどこか旦那さんに似ているところがあった。そして、従姉の母も父のことをかなり嫌がりながらも離婚していない。

 

・私の友人は同居している恋人がよく家の共有部分を散らかすのに困っているらしい。
 でも友人の話を聞いている限りではその友人の兄も自分の部屋の外を散らかす癖を持っているらしい。

 

・私の高校時代の友人の1人が私の兄に似た言動をする人だった。
 そして高校を卒業して専門学校に入学すると、兄と似た容姿をした同級生がすぐ近くに居た。
 専門を卒業し、私が就職した会社の社長も、私の兄に似ている言動をする人だった。
 ちなみにこの兄に似ている会社の社長との面接をへて、私は採用されたのだった。

 

・私が会社勤めだった時に私を助けてくれた女性の気の使い方と性格は私の母にそっくりだった。

 

 

人は違う。見せ方も違う。けれど似ている。まるで同じことを繰り返している。

 

なんらかの集団に参加したとき、たまたまその集団を見つけたり誘われたりして参加できたのではない。

 

好きな人ができたなら何故好きになったのだろう。

その人深いところに両親と似た要素があるのではないか?

 

このことを考えると、人間関係はその場その場で偶然に起きているのではないことがわかってくる。何か人智を超えた意識、完璧な采配が働いているように思える。

 

過去生を述べている本を読んでみると、数々の前世から似たような人間関係を繰り返しているような話もよく見つかる。

 

 

そしてそれら過去生を述べている本では、「学びきれていないから未だに繰り返している」と言うのだけれど、もししっかり学びきれたら繰り返しは終わり、新たな人間関係が現れるのだろうか。。?

 

 

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実は今回でブログ更新50回目となりました!高校生の頃まで文章を書くのが大嫌いだった私がこれほど文字を書くとは自分でも驚き、、!

読んでくださっている皆様ありがとうございます!そしてこれからもときどきスピな話を投稿していきますので、よろしくお願いします〜!

 

 

 

 

【スピ日記】とても些細な出来事から世界の深い共同創造の流れを感じた話

 

 

スピ日記でございます。今回はとても些細な出来事からこの世界が共同で創造されていると感じたことの話です。世間話くらい些細なのに考えすぎて深くなってしまった話。

 

この記事は23年7月10日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

あとあと、今回の内容は”思考は現実になる”ということが当然のことだという考えのもとで書かれています。

 

 

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2023年7月09日

 

ある本の中で、意識して思考をある対象に集中させる訓練法が書かれていて、私は全くの思いつきできゅうりについて考えることに意識を集中した。

 

きゅうりの形、色、質感や凹凸、トゲ?、匂い。意識を集中して詳細にイメージする。

 

その間たった1分2分だけれども、今までの経験から「これは簡単なこと、すぐにできる」と思えることは30秒も意識を集中してしまうと、あっさり目の前に現実となって現れることは私の中でもう当然のことになっているので、この集中訓練によってきゅうりに意識が集中したので、近いうちにきゅうりが現れることが決まったように思った。

 

 

そして次の日、やっぱりきゅうりは私の周りに現れた。

 

父が「冷やしそうめんを食べたい」と母と話して、母も同意し、そうめんの付け合わせにきゅうりを買ってきた。私はきゅうりを買う直前まで、今日の食事がそうめんだという話は聞いていなかった。

 


ここで2つの見方をすることができるのに気づいた。

 

 

①私が前日にきゅうりに意識を集中させたので、それを現実とするために、両親の思考にきゅうりに関係する冷やしそうめんを思い立たせて、そうめんの付け合わせとして、きゅうりを購入させる。その結果私の目の前にきゅうりが現れた。

 

この考えだと、まるで私の思考が最初に起きて、両親の思考に影響を及ぼしたので、創造したのは私だけ。


以前の私であればこの考えを支持するかもしれない。

でも今回は上記ではなく下記であるように思えた。

 


②私がきゅうりに意識を集中させたので、その思考が周りにいる両親の思考にも影響を及ぼし、両親はきゅうりに関係する冷やしそうめんが食べたくなった。が、それだけではなく、私の両親は冷やしそうめんに意識を集中させていた。もしこの時点で私がそうめんを拒否していれば、両親が意識した冷やしそうめんはこの日現れず、その付け合わせとなるきゅうりも現れることができなかった。

 

つまりは、両親はきゅうりが現れることを無意識的に許可していて、私も冷やしそうめんが現れることを許可した。私と両親は無意識の領域でお互いに許可し合い、お互いに現実化するために協力していた。共同で創造したのだ。

 

 

これはすごく些細な出来事だった。
でも私はこの些細な思考の現実化から、世界の共同創造を垣間見た気がした。

 

今まで「世界は共同創造している」と先人たちは言っていて、少し考えるだけでもそれはそうだろうなと思うのだけれど、それは「道を整備する人がいて、道を使って運搬している人がいて、運搬された品物を使う人がいて、、、、」という繋がりのことだろう。

 

と思っていたけれど、こういう当たり前にわかることを、わざわざ先人たちが言葉にして伝えるだろうか?と思ってピンときていなかった。

 

そうではなく、思考とか、人同士で会話する内容とか、どの色の服を着るのか、どこへ何時に行くのか、というほぼ全てのことが、共同で創造されている。ということだったのだろう。

 

 

私は思考によってきゅうりを現実化したという些細すぎる出来事の過程を観察したことで、この世界は共同創造であるということに気づき、実感した。

 

 

ここまで記事を書いてきて、自分でもちょっと困惑してきた。

何を真剣に語っているのだ私は。笑

 


さっそく「世界は共同で創造されている」という考えの元で、道行く人々の日常生活を見ていると、この世界はあまりにも完璧に出来ているように見えた。

 

私たちは互いに思考の発信機であり受信機でありながらも、無意識の領域で他人の現実化の手伝いをすることを許可し、こちらも他人に手伝ってもらう許可を求めながら、共同で今の現実を作りあげているのが見えてくる。

 

 

例え話をすると、あるパン屋さんが青色の服が気になっているとする。すると青色の服を着た客がやってくる。


青色の服を着た客はパンが気になったからこのパン屋の元へやってきた。


このパン屋と客は、互いに気になったものを自分の周りに出現させる為に、無意識領域で合意して、共同でお互いの世界を作った。

 

この世界ではこういうことがものすごい頻度で発生している。

 

 

「今日は黄色ベースの服を着て出かけよう」と思ったとして、その考えが何故今出てきたのか?もしかしたら出かけた先では黄色の服を考えている人がいるかもしれない。

 

 


この世界は少数の強い意志と集中力をもった人が好き勝手作っているように見えるけれども、実はそうではなくて、この世界に参加した全員が共同で作っているということに今になって気づいた。

 

一見横暴なやり取りも実は、魂の深い所でお互いに許可しあって起こしているのだろう。世界は混沌ではなく、あまりにも完璧に采配され、綿密に織り込まれている場所だったみたいだ。

 

 

 

 

 

【ちょっと昔のスピ本レビュー】『ポジティブ・シンキング』シャクティ・ガワイン著 大野純一+大塚正之 訳 吉福伸逸 解説

 

ひななぎであります!ちょっと昔のスピ本レビュー第3回です!今回『ポジティブ・シンキング』という本のご紹介でございます!

 

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ポジティブ・シンキング』(シャクティ・ガワイン著 大野純一+大塚正之 訳 吉福伸逸 解説)

 

今回ご紹介したいこの本もちょっと古いスピ本です。
日本語訳のこの本の第一刷は1986年で、この記事を書いているのは2023年ですのでもう37年前の本となります。

 

2023年7月現在ではAmazonでの出品は見当たりませんでした。
何回か検索ワードを変えましたがやっぱりありませんでした。私の検索の仕方が悪かったのかも?

 

楽天市場には1冊だけ中古本がございました。

 

 

この本はポジティブ・シンキングという、前向きに生きていればOKよ!みたいなシンプルな題名ですが内容はそれとは裏腹に、深い洞察を持っている著者の知識とテクニックの集大成のような濃い内容の本でした。

 

 

まずは本の目次をご紹介しますね。

 

・読者への手紙
・解説
■第一章 クリエイティヴな観想の基礎
クリエイティヴな観想とは何か
クリエイティヴな観想の働き方
クリエイティヴな観想の簡単な練習
・リラックスすることが大切
・観想の仕方
・効果的にクリエイティヴな観想を行うための四つの基本的ステップ
クリエイティヴな観想はもっぱら善のためにのみ有効
・確信
・霊的なパラドックス
■第ニ章 クリエイティヴな観想の使い方
クリエイティヴな観想を人生の一部にする
・あること、すること、もつこと
・三つの要素
・より高い自己との接触
・流れのままに
・豊かさのプログラミング
・自らの善を受け入れる
・流出させる
・治癒する
■第三章 瞑想と確信
・自分自身を接地させてエネルギーを流す
・エネルギーの中枢を開く
・自分の聖域を創る
・案内人(ガイド)に会う
・ピンク泡の技法
・治癒のための瞑想
・祈願
・確信の使い方
■第四章 特別なテクニック
クリエイティヴな観想のノートブック
・クリアリング
・確信を書く
・目標を設定する
・理想の光景作り
・宝の地図
・健康と美容
・グループでのクリエイティヴな観想
・人間関係におけるクリエイティヴな観想
■第五章 クリエイティヴな人生
クリエイティヴな意識
・より高い目的を発見する
・芸術作品としての人生

 

目次は細かく区切られているのですが、全211ページで、章毎に50ページほど使われておりますので、平均的な本の読み応え。

 

ポジティブ・シンキング」という題名のこの本。

実際私たちが生きているこの世界は、世界をどう見るかで個人の現実が変わってきますので、確かに前向きに生きることができていれば哲学的な考えを学ばなくてもそれでOKだと私も思いますが、この本は前向きに生きる方法というよりは、クリエイティブな観想(今で言うとビジュアライゼーション)によって現実を良い方向へ変えていく方法がまとめられています。

 

題名は「思考に力があることを知ることで、ポジティブな考えを意識してするようになる」という意味なのかもしれませんね。

 

 

この本の素晴らしい点はたくさんありますが、私が特に素晴らしいと思ったのは、想像力によって現実を変えるテクニックを教えてくれていながらも、”源”や”真の自己”と呼ばれる高次の意識に気づき、繋がる必要性も話してくれている点です。悪意のあることには使えないという項目を設けてくれているのも素晴らしいと思いました。

 

思考の力(想像の力)で現実を変えることができるとだけ教えられると、意識的であれ無意識的であれ、破壊的な方向に向いてしまうことがあると思うので、愛にあふれた真の自己に気づくことや、良き行為、建設的な方向に力を使うように注意することは読者が迷わない為の道標のように感じられました。

 


ここからはちょっと本の一文を引用してご紹介。

 

クリエイティヴな観想は本来力強いプロセスですので、たった5分間の意識的、肯定的な瞑想であっても、数時間、数日、さらには数年間にわたる否定的なパターンにさえも匹敵しうるのです”

 

これは希望になりますね。

私たちが思考やイメージには現実を作り出す力がある事を知るまでは、産まれた瞬間からずっとあらゆる否定的な考えを教え込まれてしまっていて、まるで今から考えを変えても間に合わないと思えてしまうことがあるかと思いますが、そんなことはなく、多少時間がかかるかもしれませんが、過去の積み重ねよりも圧倒的に早く、考え方を、ひいては人生を肯定的な方向へ変えられる。ということでしょうか。

 

 

”私たちが自分自身に抱いている観念(セルフイメージ)が”私たちの健康や不健康を決めるのとちょうど同じように、他人に対して抱いている観念も彼らの健康や不健康を支援できるのです。”


こういった健康に対することを教える項目もありました。特にイメージによって遠隔で誰かの健康を助けることができるのは素晴らしいですね。私もときどき、家族が体調不良になったときなどには「外から見ていることしかできないのだろうか、、」と考えてしまうことがありますが、イメージすることで少しでも回復を早める手伝いができることは、嬉しいことですね。

 

 

"自分の最善を達成するのをはばむような、自分自身の内なる障害に出会うかもしれません。障害(ブロック)とは、エネルギーが抑えつけられている場所ーーーー"

 

この一文は著者がチャクラやオーラが見えていたか、それらに関係する知識があったことがわかる部分でした。人のオーラを見ることができるヒーラーが書いた本を読むと、よく似たようなことが書かれています。

 

人間にはそういった面があることを知るきっかけとなるかもしれません。

 

 

"私たちの各々は、他ならぬ自らの内に、あらゆる知恵(宇宙的な英知)と知識を持っています。それは直感的心を通して利用できるのです"

 

これは第三章の案内人(ガイド)に会うの最初の一文です。


思考の力、イメージの力を使うとき、願いが決まっていてもそれに向かうためにはどうしたら良いかわからないと思ってしまうことがあります。しかし、自分の内側は宇宙的なあらゆる知恵と繋がっており、それを利用できれば願いを達成するためにまずどういった行動をとるべきかわかってくる。ということでしょうか。

 

この引用文の先ではその案内人(ガイド)に繋がる方法が記載されていました。

 

 

私が初めてこの本を読んだときの感想は、私が今までたくさんの本を読んで1つゆっくり学んできた、思考の力の存在、エネルギーの考え方、チャクラの存在、色の力、高次のガイドの存在、、などをこの1冊に凝縮した本だと感じました。

 

ただ、この本から思考の力を知りはじめるのも良いと思いますが、一項目づつに使われているページが少なめですので、日頃から「事例は?データは?」と深く深く知りたがる傾向がある方からするとちょっと物足りないかも?

 

ですが、既に思考の力をある程度知っている方が読むと、分かりやすいながらも濃い本だと感じるかもしれません。思考やイメージの力の知識に興味があって広く知りたい方や、まとめ本を探している方にオススメしたい一冊です。

 


この本は私にとって、思考による願望実現のテクニックと知識の集大成と思える一冊でした。いつも側に置いておきたい本です。

 

 

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今回は本の目次も記載いたしました。記載した方が本の構成が分かりやすくなってより興味が湧くのではないでしょうか?

これからもときどき古いスピ本をご紹介していくと思いますので、よかったらまた覗きにきてくださいませ〜!読んでくださりありがとうございました!

 

 

 

 

【スピ日記】存在する意味を失った物や肉体は急速に劣化するのでは?

 

スピ日記でございます。前回は「すべて必要だからある」という考えを書いたのですが、それにつづけて今回は「不要になったものは急速に劣化する」というような内容を話してみようと思います。今回もただの一人言。間違っていたらごめんね

 

この記事は23年7月11日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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この考えはもしかしたら、私が見てきたことに対して私が私なりに解釈して「意味を失った物は急速に劣化するんだ」という信念が出来上がってしまって、それを頷ける現象に出会っているだけかもしれません。もし「存在する意味を失っても長く残り続ける」という信念を持っている人は、その通りの現実を見るでしょう。

 

 

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私は物持ちがいいほうで、私の周りにある道具は結構長持ちする。


ちなみにこの記事を書くのに使っているPCはもう10年生きている。

バッテリーは1時間せずにゼロになってしまうようになったし、スピーカーも音がちょっと変になりはじめちゃったけれどまだまだ現役。

 

それ以外の機械類もかなり長持ちなのだけれど、過去に長持ちしたそれらが壊れたのに気づいたときは「使わなくなったもの、存在する意味を失ったものは急速に劣化する」という考えを私に教えた。

 

 

特に私がまだ学生だった頃にすごくお世話になった携帯ゲーム機は7年問題なく動き続けていた。変な話、何故か見栄を張っていたのか2台持っていたのだけれど、2台とも7年動き続けた。

 

私の友人数人も同じ機種を持っていたが、3年ほどで壊れてしまっていた。
この機器の寿命の差は、私がただ他の人より物を大切に扱っていただけかもしれないけれど。

 

私は成長するにつれてこのゲーム機で遊ばなくなっていったのだけれど、時々はゲーム機に意識を向けていた。


それからまたしばらくして、私は就職してものすごく忙しくなってしまい、ゲーム機は押し入れ深くにしまわれ、私はゲーム機のことをすっかり忘れてしまっていた。思い出すこともなかった。

 

ある日、ふとゲーム機のことを思い出したので押し入れから出してみると、もう動かなくなっていた。2台とも電源すらも入らない。

 

 

それは私にとって少し考え深い出来事だった。


機械類は本格的に壊れる前に、些細な不調が出始めてその予兆を示してくれると私は思っていた。7年も動き続けていたゲーム機は2台ともそんな予兆は全くなかったので、まだ動くと思っていた。


でも、その存在を忘れてしまっていて、気づいたら壊れていた。

 

7年も動いていた時点で寿命だったのだろうとは思うけれど、「あっ、放置すると物は壊れるのか、、」と学習した。

 

 

私が持っているカメラも、似たような兆候を見せた。


今から4年前だったか5年前に購入したデジタルカメラなのだけれど、カメラの画素数に全く知識が無かった私は、当時持っていたスマホのカメラと同じくらいの性能のデジタルカメラを購入してしまっていた。笑

 

同じくらいの性能なら、スマホのカメラだけで十分だったので、このデジタルカメラは使う機会が減っていって、1年くらいしか使わずに、その後半年くらい机の引き出しの中で眠った。

 

そして半年経った頃に久しぶりにカメラに電源を入れてみると、モニターのドットが所々欠けていた。奇妙なドットの欠け方だった。まるで何かに侵食されているような。

 

完全に壊れたわけではなかったけれど、私はまだ若いカメラに起きた劣化を見て「これは私が意識を向けなくなってしまった為に、このカメラは存在する意味を失いかけてたので、急速に壊れはじめる傾向をみせたのだ。まるで以前、放置して壊れたゲーム機のように。」なんて思った。

 

 

 

その後、ちょっと視点が変わるけれど「存在する意味を失ったものは急速に劣化する」という現象は肉体にも適用されているように思えることがあった。

 

父が定年退職し、年金生活に入ったのだ。


父は頑固でありながらとても真面目だったので、責任感があり仕事場に毎日2時間も早く出勤して奉仕するなどしていながらも、早く帰ってきたりはほとんどしないような人で、毎日忙しい日々を過ごしていたのだけれど、趣味は無かったので父は定年退職後に仕事を失った後、家事手伝い以外はテレビを見るか寝て過ごすようになってしまった。

 

時々買い物には行くけれど、それくらい。

 

毎日テレビをずーっと眺めていて、とくに笑いが無い番組を見ている父は抜け殻のように見えた。


父はすることが無くなってしまったようだった。

 

そんな日々がつづいて1年経った頃、久しぶりに父と買い物へ行くと、父の歩き方が日本舞踊のような、膝をほとんど曲げない歩き方になっているのに気づいた。私はそれを見て父が歳をとったことを痛感したのだけれど、それはまるで「存在する意味を失った物が急速に劣化する」という現象が、肉体にも適用されているのでは?と思える出来事だった。

 

いや、ただ家に引きこもって身体を動かさなくなったから筋力が低下したんだよ。

と私も言いたいのだけれど、定年前の10年間の父の仕事はタクシー運転手で、長時間座りっぱなしの毎日で、その間筋トレするような所は見たこともなかった。職場への通勤ももちろん車。でも働いている間の父の身体は素早く動けていた。

 

私が外から見ている限りでは、することが無くなってから衰えたように見えた。

 

道具は物質だけれど、物質界に存在する肉体もまた物質であり例外は無いのかもしれない。そう思えた。

 

 

これを読んでくれている方の中にも同じ疑問を持っている人がいるのではないだろうか。


一昔前に活躍した有名人が歳をとっても尚も若々しさを維持している人。


同じく活躍した有名人が歳をとって、歳相応に老けてしまっているように見える人。

 

その違いは運動や食生活で体力維持を頑張っているかどうかなのかなぁと一時期思っていたけれど、もしかしたらそれは表面的なことで、少し深く見てみると「生きる意味を持ち続けているか否か」の違いでもあるような気がしている。

 


存在する意味を失ったものは急速に劣化するように思える。
であれば逆に考えて、存在する意味を持たせてあげれば良いのだろうか。

 

物を長持ちさせるには頻繁に意識を向けてあげて、存在する意味を作ってあげると良いかもしれない。
肉体を長持ちさせるときは、何故生きるのか高い意図を掲げて、生きる意味を持っていると良いかもしれない。

 

どうだろう?

こんな拡大解釈がすごいような記事を書きながら、私は自分の生きる意味、存在する理由はなんだろうか?と深く思った。

 

ここまで読んでくれたあなたは今、生きる意味を持っていますか?

 

 

 

 

【スピ日記】全ては必要だからそこにあるし、理由があって起こっている。

 

スピ日記でございます。今回はともすれば炎上しそうなことを言うのですが、確認しようがない以上、私が直感した考えはあっているかもしれないし間違っているかもしれない。ただそういう思考が入ってきた記録なのです。

 

この記事は23年7月10日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

 

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【全ては必要だからそこにあるし、理由があって起こっている】

 

 

という考えに突然至ったときに考えていたことの話。

 

直感というものはどこから来ているか定かではないのに、いつも脈絡もなく突然わたしの考えの中に入って来て、答えをくれる。今回もそうだった。

 

あるスーパーで買い物を終えて、車に向かって駐車場をぼんやりしながら歩いていた。
その時考えていたのは、変な話になるけれど、、「性的サービスやコンテンツに対して、嫌悪感を示す人が一定数居るし、中には強烈な反対意思を発する人がいるのにもかかわらず何故消えないで残りつづけられるのだろうか?それどころか、性的コンテンツは一部の場所では発展しているようにさえ見える。」なんてことを考えていた。

 

 

なんでこんなことを考えていたかというと


私は絵描きとしてお仕事募集を始めた頃、性的な内容のイラストを描いてほしいと依頼が来ることが多々あった。


その頃収入に困っていて、そういったイラストを描くのが若干嫌でも、報酬がよければ我慢して描いていた。


私は性的なコンテンツを拒絶したりはしないけれど、否定的な意見をときどき目にするので、描き終わって依頼者に納品した後も、「本当に描いてよかったのかなぁ」という考えに付きまとわれる。


その頃のことをふと思い出して、こういう変な疑問を抱いて考えていたのだ。

 

私がスピリチュアルなブログ記事を書いていながらも、性的な絵を描いていたことがあると知って嫌悪感が出てしまった人が居たら申し訳ない。でもそういう人生を歩んで来た結果いつの間にか、こういうブログを運営するような人間になってしまった。

 


それはそうと話に戻ろう。
「性的コンテンツが一部から否定されているのに何故残っているのか?」
に対する答えは突然入って来た。

 

※直感的に突然入ってくる考えは本当にすごくて、私が普段考えつかないことに気付かせたり、疑問の答えをくれたりする。直感のことをまだ観察したことがない方からすると「直感はただの思いつき」で済ませてしまうと思うし、私も以前はそうだったのだけれど、今の私にとって直感はただの思いつきではなく「最善の答え」だったり「全てを知っている深い所からの導き」だと思っている。

 

それは【すべては必要だからあるし、理由があって起こっている】だった。
駐車場を歩いていた私は車に乗り込む頃までに、更に考えが立て続けに入って来た。

 

 

「すべては必要だからある。まだ無くならないのであれば、それは人類がまだ必要としているからだ。」

 

「それはこの人間社会のすべてにおいて言える。時代を席巻した便利な道具から、ある地域の言葉、さっき考えていた性的コンテンツもそうだし、もっと言えば戦争もそうなのだ。」

 

「時代を席巻した道具を考えるとわかりやすいだろう。例えばガラケーは一昔前までは必須級の道具だったが、時代が進みスマホが現れてから、ガラケーは必要とされなくなってきている。」

 

「言葉も例外ではない。ある地域の言葉が使われなくなってしまうのも、必要とされなくなったからだろう。その地域に別のもっと広く使える言語が入って来たのがその始まりだったかもしれないし、その地域の住民が減ったからかもしれない。」

 

「さっき考えていた疑問の、性的コンテンツが減らない理由は、まだ必要とされているから。今の精神成長度合いの人類にはまだ必要なのだ。人類が成長し、愛し合う時と子供を作る時以外には性的なことにあまり関心が向かなくなってくると、性的コンテンツは不要になり、それから次第に衰退していく。」

 

「そしてもっと大きなこととして戦争もだ。これは強烈に否定されるが、これも今の精神成長度合いの人類には必要だから起こっているのだ。とくに戦争は強烈な悲劇を産んでいるが、まだ存在しているということは、人類はまだ戦争から学ぶことが残っているのだ。人類の精神が十分に成長し学び終えた時、もはや戦争は起こる必要がなくなり、戦争は消える。」

 

※まるで戦争を肯定するようなことを書いているけれど、もちろん私は戦争は反対だ。あまりにも破壊的すぎる。やっぱり平和がいいよね。

 

 

私はメモするのに必死だった。
車に乗り込んだのに運転を始めずにスマホのメモに懸命に入力しているのを横で見ていた母は不思議がっていた。


この考えを得た私は、この世界に対する疑問が1つ解決した。
個人が人生で経験する嬉しいことやアクシデント。人類が共同で経験する様々な出来事。肉体も、人間関係も、境遇も、貧富の格差も、、すべては、何かを学ばせる為。もしくは需要に応える為に必要だからそこに存在していて、必要だから起きているみたいだ。

 

今まで、人生や世界で起こる出来事は気まぐれで起こるように思えていて、世界は混沌で満ちていると思っていたけれど、そうではなく完璧な意図のもと完璧な采配とタイミングで進行しているのかもしれない。