【スピ日記】全ては必要だからそこにあるし、理由があって起こっている。

 

スピ日記でございます。今回はともすれば炎上しそうなことを言うのですが、確認しようがない以上、私が直感した考えはあっているかもしれないし間違っているかもしれない。ただそういう思考が入ってきた記録なのです。

 

この記事は23年7月10日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

 

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【全ては必要だからそこにあるし、理由があって起こっている】

 

 

という考えに突然至ったときに考えていたことの話。

 

直感というものはどこから来ているか定かではないのに、いつも脈絡もなく突然わたしの考えの中に入って来て、答えをくれる。今回もそうだった。

 

あるスーパーで買い物を終えて、車に向かって駐車場をぼんやりしながら歩いていた。
その時考えていたのは、変な話になるけれど、、「性的サービスやコンテンツに対して、嫌悪感を示す人が一定数居るし、中には強烈な反対意思を発する人がいるのにもかかわらず何故消えないで残りつづけられるのだろうか?それどころか、性的コンテンツは一部の場所では発展しているようにさえ見える。」なんてことを考えていた。

 

 

なんでこんなことを考えていたかというと


私は絵描きとしてお仕事募集を始めた頃、性的な内容のイラストを描いてほしいと依頼が来ることが多々あった。


その頃収入に困っていて、そういったイラストを描くのが若干嫌でも、報酬がよければ我慢して描いていた。


私は性的なコンテンツを拒絶したりはしないけれど、否定的な意見をときどき目にするので、描き終わって依頼者に納品した後も、「本当に描いてよかったのかなぁ」という考えに付きまとわれる。


その頃のことをふと思い出して、こういう変な疑問を抱いて考えていたのだ。

 

私がスピリチュアルなブログ記事を書いていながらも、性的な絵を描いていたことがあると知って嫌悪感が出てしまった人が居たら申し訳ない。でもそういう人生を歩んで来た結果いつの間にか、こういうブログを運営するような人間になってしまった。

 


それはそうと話に戻ろう。
「性的コンテンツが一部から否定されているのに何故残っているのか?」
に対する答えは突然入って来た。

 

※直感的に突然入ってくる考えは本当にすごくて、私が普段考えつかないことに気付かせたり、疑問の答えをくれたりする。直感のことをまだ観察したことがない方からすると「直感はただの思いつき」で済ませてしまうと思うし、私も以前はそうだったのだけれど、今の私にとって直感はただの思いつきではなく「最善の答え」だったり「全てを知っている深い所からの導き」だと思っている。

 

それは【すべては必要だからあるし、理由があって起こっている】だった。
駐車場を歩いていた私は車に乗り込む頃までに、更に考えが立て続けに入って来た。

 

 

「すべては必要だからある。まだ無くならないのであれば、それは人類がまだ必要としているからだ。」

 

「それはこの人間社会のすべてにおいて言える。時代を席巻した便利な道具から、ある地域の言葉、さっき考えていた性的コンテンツもそうだし、もっと言えば戦争もそうなのだ。」

 

「時代を席巻した道具を考えるとわかりやすいだろう。例えばガラケーは一昔前までは必須級の道具だったが、時代が進みスマホが現れてから、ガラケーは必要とされなくなってきている。」

 

「言葉も例外ではない。ある地域の言葉が使われなくなってしまうのも、必要とされなくなったからだろう。その地域に別のもっと広く使える言語が入って来たのがその始まりだったかもしれないし、その地域の住民が減ったからかもしれない。」

 

「さっき考えていた疑問の、性的コンテンツが減らない理由は、まだ必要とされているから。今の精神成長度合いの人類にはまだ必要なのだ。人類が成長し、愛し合う時と子供を作る時以外には性的なことにあまり関心が向かなくなってくると、性的コンテンツは不要になり、それから次第に衰退していく。」

 

「そしてもっと大きなこととして戦争もだ。これは強烈に否定されるが、これも今の精神成長度合いの人類には必要だから起こっているのだ。とくに戦争は強烈な悲劇を産んでいるが、まだ存在しているということは、人類はまだ戦争から学ぶことが残っているのだ。人類の精神が十分に成長し学び終えた時、もはや戦争は起こる必要がなくなり、戦争は消える。」

 

※まるで戦争を肯定するようなことを書いているけれど、もちろん私は戦争は反対だ。あまりにも破壊的すぎる。やっぱり平和がいいよね。

 

 

私はメモするのに必死だった。
車に乗り込んだのに運転を始めずにスマホのメモに懸命に入力しているのを横で見ていた母は不思議がっていた。


この考えを得た私は、この世界に対する疑問が1つ解決した。
個人が人生で経験する嬉しいことやアクシデント。人類が共同で経験する様々な出来事。肉体も、人間関係も、境遇も、貧富の格差も、、すべては、何かを学ばせる為。もしくは需要に応える為に必要だからそこに存在していて、必要だから起きているみたいだ。

 

今まで、人生や世界で起こる出来事は気まぐれで起こるように思えていて、世界は混沌で満ちていると思っていたけれど、そうではなく完璧な意図のもと完璧な采配とタイミングで進行しているのかもしれない。