【スピ日記】存在する意味を失った物や肉体は急速に劣化するのでは?

 

スピ日記でございます。前回は「すべて必要だからある」という考えを書いたのですが、それにつづけて今回は「不要になったものは急速に劣化する」というような内容を話してみようと思います。今回もただの一人言。間違っていたらごめんね

 

この記事は23年7月11日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収したり経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。

 

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この考えはもしかしたら、私が見てきたことに対して私が私なりに解釈して「意味を失った物は急速に劣化するんだ」という信念が出来上がってしまって、それを頷ける現象に出会っているだけかもしれません。もし「存在する意味を失っても長く残り続ける」という信念を持っている人は、その通りの現実を見るでしょう。

 

 

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私は物持ちがいいほうで、私の周りにある道具は結構長持ちする。


ちなみにこの記事を書くのに使っているPCはもう10年生きている。

バッテリーは1時間せずにゼロになってしまうようになったし、スピーカーも音がちょっと変になりはじめちゃったけれどまだまだ現役。

 

それ以外の機械類もかなり長持ちなのだけれど、過去に長持ちしたそれらが壊れたのに気づいたときは「使わなくなったもの、存在する意味を失ったものは急速に劣化する」という考えを私に教えた。

 

 

特に私がまだ学生だった頃にすごくお世話になった携帯ゲーム機は7年問題なく動き続けていた。変な話、何故か見栄を張っていたのか2台持っていたのだけれど、2台とも7年動き続けた。

 

私の友人数人も同じ機種を持っていたが、3年ほどで壊れてしまっていた。
この機器の寿命の差は、私がただ他の人より物を大切に扱っていただけかもしれないけれど。

 

私は成長するにつれてこのゲーム機で遊ばなくなっていったのだけれど、時々はゲーム機に意識を向けていた。


それからまたしばらくして、私は就職してものすごく忙しくなってしまい、ゲーム機は押し入れ深くにしまわれ、私はゲーム機のことをすっかり忘れてしまっていた。思い出すこともなかった。

 

ある日、ふとゲーム機のことを思い出したので押し入れから出してみると、もう動かなくなっていた。2台とも電源すらも入らない。

 

 

それは私にとって少し考え深い出来事だった。


機械類は本格的に壊れる前に、些細な不調が出始めてその予兆を示してくれると私は思っていた。7年も動き続けていたゲーム機は2台ともそんな予兆は全くなかったので、まだ動くと思っていた。


でも、その存在を忘れてしまっていて、気づいたら壊れていた。

 

7年も動いていた時点で寿命だったのだろうとは思うけれど、「あっ、放置すると物は壊れるのか、、」と学習した。

 

 

私が持っているカメラも、似たような兆候を見せた。


今から4年前だったか5年前に購入したデジタルカメラなのだけれど、カメラの画素数に全く知識が無かった私は、当時持っていたスマホのカメラと同じくらいの性能のデジタルカメラを購入してしまっていた。笑

 

同じくらいの性能なら、スマホのカメラだけで十分だったので、このデジタルカメラは使う機会が減っていって、1年くらいしか使わずに、その後半年くらい机の引き出しの中で眠った。

 

そして半年経った頃に久しぶりにカメラに電源を入れてみると、モニターのドットが所々欠けていた。奇妙なドットの欠け方だった。まるで何かに侵食されているような。

 

完全に壊れたわけではなかったけれど、私はまだ若いカメラに起きた劣化を見て「これは私が意識を向けなくなってしまった為に、このカメラは存在する意味を失いかけてたので、急速に壊れはじめる傾向をみせたのだ。まるで以前、放置して壊れたゲーム機のように。」なんて思った。

 

 

 

その後、ちょっと視点が変わるけれど「存在する意味を失ったものは急速に劣化する」という現象は肉体にも適用されているように思えることがあった。

 

父が定年退職し、年金生活に入ったのだ。


父は頑固でありながらとても真面目だったので、責任感があり仕事場に毎日2時間も早く出勤して奉仕するなどしていながらも、早く帰ってきたりはほとんどしないような人で、毎日忙しい日々を過ごしていたのだけれど、趣味は無かったので父は定年退職後に仕事を失った後、家事手伝い以外はテレビを見るか寝て過ごすようになってしまった。

 

時々買い物には行くけれど、それくらい。

 

毎日テレビをずーっと眺めていて、とくに笑いが無い番組を見ている父は抜け殻のように見えた。


父はすることが無くなってしまったようだった。

 

そんな日々がつづいて1年経った頃、久しぶりに父と買い物へ行くと、父の歩き方が日本舞踊のような、膝をほとんど曲げない歩き方になっているのに気づいた。私はそれを見て父が歳をとったことを痛感したのだけれど、それはまるで「存在する意味を失った物が急速に劣化する」という現象が、肉体にも適用されているのでは?と思える出来事だった。

 

いや、ただ家に引きこもって身体を動かさなくなったから筋力が低下したんだよ。

と私も言いたいのだけれど、定年前の10年間の父の仕事はタクシー運転手で、長時間座りっぱなしの毎日で、その間筋トレするような所は見たこともなかった。職場への通勤ももちろん車。でも働いている間の父の身体は素早く動けていた。

 

私が外から見ている限りでは、することが無くなってから衰えたように見えた。

 

道具は物質だけれど、物質界に存在する肉体もまた物質であり例外は無いのかもしれない。そう思えた。

 

 

これを読んでくれている方の中にも同じ疑問を持っている人がいるのではないだろうか。


一昔前に活躍した有名人が歳をとっても尚も若々しさを維持している人。


同じく活躍した有名人が歳をとって、歳相応に老けてしまっているように見える人。

 

その違いは運動や食生活で体力維持を頑張っているかどうかなのかなぁと一時期思っていたけれど、もしかしたらそれは表面的なことで、少し深く見てみると「生きる意味を持ち続けているか否か」の違いでもあるような気がしている。

 


存在する意味を失ったものは急速に劣化するように思える。
であれば逆に考えて、存在する意味を持たせてあげれば良いのだろうか。

 

物を長持ちさせるには頻繁に意識を向けてあげて、存在する意味を作ってあげると良いかもしれない。
肉体を長持ちさせるときは、何故生きるのか高い意図を掲げて、生きる意味を持っていると良いかもしれない。

 

どうだろう?

こんな拡大解釈がすごいような記事を書きながら、私は自分の生きる意味、存在する理由はなんだろうか?と深く思った。

 

ここまで読んでくれたあなたは今、生きる意味を持っていますか?