【スピ日記】世界線が分岐しているなら人生にやりのこしは全く無い。という考え

 

今の私は世界線は1本ではなく分岐して複数存在しているという考えを持っています。理由は一応あるのですが。。

今回はスピ日記でございます。私の考えを述べた独り言。「こんな考えもあるのかぁ」というゆるさで読んでくださいませ。

 

ーーーーーーーーーー

 

 

時間は過去から未来に1方向に進んでいく。世界線は1本である。
というような考え方が多くの人にあると思うけれど、今の私は世界線は複数あると思っている。

 

いや、複数というより「世界線は無限にある」が言い方としては合っているかも。

 

この考え方をするようになったのは、思考の現実化を注意深く観察していたときに、時間軸的にみるとありえない一致が次々と起こっているのに気づいたから。(このことはまだ考えがふわふわしているのでブログに書くのはまたの機会に)


本から学んだ知識だと、ワンネス意識でいるときに時間を見た場合、時間は過去、未来という前と後ろだけでなく、上にも下にも、手前にも奥にも広がっているらしい。

 

上にも下にも手前にも、というのは選択肢Aを選んだ未来と選択肢Bを選んだ未来も”同時に”存在している。というような感じ。

 

様々な選択肢をとった自分が”同時に”存在しているなら、私という存在も複数存在しているはず。(といってもバラバラに別れているのではなく、本質的な部分であるゼロポイント?では繋がっているとは思うけれど)

 

 

私という存在が複数存在していて、それぞれ違う人生で違う経験をしていて


人生の最後に肉体が死に、霊体となり、ワンネス意識に帰ることになるなら、別の人生を経験したたくさんの私が、いずれ一つに戻る。

 

つまり、人生でやらなくて後悔していることがあっても、別の世界線の自分はそれをやった経験を持っている。


そして最後に1つに戻り経験が統合されるなら、人生にやり残しは無い。

 

 

私がやらなかったことは、別の私がやっている。
別の私がやらなかったことは、私がやっている。

 

 

世界線は無限にあるので、すべての選択肢を選び、くまなく経験できている。

ということはないだろうか?でなければこの世界は効率が悪いように思えてしまう。

 

 

わたしはこの考え方を持って、少し人生に対する考えが楽になったような気がする。


選択を迫られたとき、どちらを選んでも、この私が選んでいない方は別の私が経験している。

 

そのときに選んだ選択が常にベストであり完璧。


やり残し多き人生を送ったとしても、ワンネス的な高い視点でみると、やり残しは全く無い。



人生でやり残しがあったら、また人生をやり直さなければいけないというのは、効率が悪すぎる。宇宙は完璧な采配をしてくれているみたいだけれど、完璧であるなら最も最適な方法をとるはず。

 

そんな宇宙が、学び成長する為に人生を体験させているなら、無限に分身して全ての可能性を経験し、一回で集めるという方法を取るのではないだろうか?

 

この考え方"別世界線の私"が本当にあるのなら

人生にやり残しは全く無い。

 

もうやらなかった後悔などしなくていい。その時やらなかったのは、それで完璧な行動だったのだ。