"世界は感謝で溢れている"と気づいた話

 

ひななぎ構成員であります!最近、初めて小林正観さんの本を読みまして、感謝の良さを改めて認識しました。

それで思い出したのですが、昨年2022年2月に世界は感謝の塊だと気づくに至ったことをブログに書いていなかったはずですので、ちょっと書いてみようかと!

 

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私がスピリチュアルな分野をちらっと覗いて、引き寄せの法則の存在を知りはじめた頃

ザ・シークレット』という引き寄せの法則を広めた映画と本を読んで、この考え方にハマりまして


その流れで『ザ・マジック』という本も読みました。

↓この本です(今回はリンク上手く表示された!嬉しい)

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この本はザ・シークレットと同じロンダ・バーン氏の著書です。

 

 

この『ザ・マジック』という本には人生を良い方向へ変えるためのワークがいくつか書かれていて、その中に「28日間毎日10個の感謝できることを探す」というワークがありました。

 

そのワークでは、10個のありがとうをノートに書き出すのですが

「前に書いたものへの感謝は10個には含めないように。」というルールがありました。

 

その頃の私にはこのルールがまぁ厳しくて、最初の10日間くらいはなんとか感謝を探せたのですが、、11日目、12日目、13日目と続けていくと全く考えつかず、20日目頃には10個の感謝を探すだけなのに1時間もかかってしまうという状態になっていました。

 

私は引き寄せの法則を知る以前はデザイナーが本職だったので、他の人よりはひらめきやアイデアが出やすいと自負していたのにも関わらず、10個の感謝で1時間かかってしまうことにかなりこたえました、、

 

『ザ・マジック』でのこのワークは「28日間行うことで、感謝を見つける力を強めて28日以降も感謝できるように」という意図があったと思うのですが、この時の私は24日くらいで挫折してしまっていました。(4年前のことですのでワークの意図が間違っていたらすみません)

 

母にこの本を進めて、母も感謝を探すワークを始めたのですが、15日目くらいで考えるのが苦しくなり、それ以降は前に書いた感謝と被っても関係なく数えるようになったみたいです。とはいえ感謝する癖はついたみたいで、それはそれでよかったのかも。

 

 

これを読んでくださっているあなた様は、今日の感謝はいくつありましたか?


例えば……

「母に感謝」「父に感謝」「兄弟に感謝」「子供に感謝」「友人に感謝」「知人に感謝」「職場の同僚に感謝」「職場の上司に感謝」「お店で対応してくれた店員に感謝」「道を譲ってくれた他人に感謝」…….などなど

 

『ザ・マジック』の感謝ワークの2日目はこれ以外の感謝を探さないといけなくて、3日目はもっと絞られる、、という感謝のワークなのです。笑

 

 

まぁそれはそうとして、このワークをある程度行ったおかげで、感謝を探す目はかなり鍛えられていたはずだったのですが、更に感謝を探せるようになる出来事がありました。

 

昨年2022年の2月に、私の身に激しい動悸が起こり夜間の救急病院へ行くということが起こります。


動悸が始まって病院へついてからも6時間ずっと動悸が止まらずお医者さんや看護師さんにかなりお世話になりました。。

 

この動悸は私の中では急激なアセンションに伴う反動の一種か、今までにない強いエネルギーがハートチャクラに入りすぎたかのどちらかだと思っています。というのもこの動悸が起こる前にパワーストーンのH&E社が提唱している"アセンション"と名がついた強力な石の組み合わせをグラウンディングもせずに常用しており、それが強いエネルギーを呼び、動悸という反動が起こったのではなんて思っていますが、、パワーストーンの話は今回の内容とは別ですね。話を戻しましょう。笑

 

この症状が出た時は、アセンションに伴う動悸である可能性なんて全く気づいていませんでした。

 

激しい動悸で冷や汗が出て、手足はキンキンに冷え、心は恐怖を抑えきれず揺れ動いていた中で、私の意識はどこか、体から少しだけズレていて世界を冷静に見ているようでした。私ではない第三者視点で見ているような、そんな不思議な冷静さ。

 

ただ何もできず動悸とこの後の境遇がどうなるかわからず恐れていながらも、意識は世界を冷静に見ている。

 

自分の周りで起こっていることが何故かよく見えていました。

いや、見えていると言うより、よく感じられました。

 

そして、両親やお医者さんや看護師さんがこんな夜中ですらも文句を言わずに対応してくれていることに気づきました。

 

それだけでなく、私が診断を受けている間も病院にはひっきりなしに救急車が来ていて、誰かを助けようと全力をつくしているのが見えていました。

 

夜間病院は対応できる人員がとても少ないので、私の診断中でも救急車が来ると、先生がそっちにいっちゃうのです。当たり前ですが緊急性が高い方から対応するということですね。

 

 

これらを見たのは私には強烈な出来事でした。

 

”誰かの命を救うために多くの人が協力している”

そんなことは見ずとも、考えればわかることなのですが、実際に見ると感じるものがありました。

 

 

それと、妙に冷静な視点になっていた私は、

今だれかを助けようとしている人だけでなく

 

助ける為の道具を作った人、薬を作った人、運んできた人、運ぶ道具を作った人、機械を作った人、機械を動かす電気を作った人、電気を運ぶルートを整備した人、これらすべての人を動かす為の食事を作った人、、、、と。

 

「すべてが連なって協力している」

ということに突然気づいたのです。

いや、これも考えればわかることなので、気づいたというより”わかった”というのがあっているかも。

 


この世界は、誰かがしてくれたことの積み重ねによって支えられている。


それは感謝であり、感謝。感謝。感謝。のオンパレード。世界は感謝で溢れているのだとこのときやっと気づきました。

 

生まれてからずっと、あまりに当たり前のことだったので気づけなかったのでしょう。


電気、水道、ガス、などのライフラインから、道の整備、信号や公園の草刈り、食品の流通や生産者。


私たちが見ている景色の何もかもが、誰かがやってくれていたもの、作ってくれたもので、それを使わせてくれて "ありがとう" であることに気づいたのでした。

 

そして、誰かが整備したものの上に新たに新しいものが生まれてくる。という奉仕の循環。

 

このことに気づき、改めて考えてみると、やはり世界は感謝で溢れているとしか思えないのです。

 


結局、私を襲った激しい動悸は医学的には原因不明でした。


動悸を抑える点滴も効かず、ますます意味不明だったようなので、私としてはやはり見えないエネルギー的なものが起こした反動だったのかなぁなんて思っていますが、実際どうなのでしょう。

 

 

あとあと、これも記録しておきたいことなのですが、、
私が激しい動悸に襲われた夜、両親が2人とも、病院へ行ける準備が整っていました。

 

詳しく話すと、父は定年退職して家事専業になっているのですが、毎晩たくさんビールを飲みます。

 

私が注意しても全く効く耳を持たず飲むのですが、私が動悸に襲われた日だけ、何故か1口も飲んでいませんでした。飲む気にならなかったみたいです。

 

母は、働ける間は働く主義で朝も夜も掛け持ちで働いています。朝は早いので夜の仕事から帰ったら早めに寝なければ朝の仕事に体力をあわせられません。

 

ですが、私が動悸に襲われた日の母のシフトは店長の気まぐれでかなり前から休みになっていました。

 

この件で何が言いたいのかというと、私の未来をわかっている何かが、私の両親の意識と母の仕事先の店長の意識に働きかけてくれなければ、私が動悸に襲われたときに助けてくれる両親が側におらず、病院へ行けなかった。ということになるのです。

 

何か霊的な、見えなくて、しかも未来をある程度予測できる存在が手伝ってくれないとこのタイミングの一致は起きなかったでしょう。

 

見えてはいないけれど私たちは、霊的存在からも大いに支えられているみたいです。

 

 

世界は人々の協力と奉仕で連なっていて感謝いっぱい。


霊的な守護存在、高次の存在の協力にも感謝いっぱい。


私たちや植物、動物の生命を維持してくれている謎の力にも感謝いっぱい。

 

 

世界は感謝で溢れています。

 

 

この気づきがあってから、私の世界を見る視点が変わりました。定食を食べる時に、この食事にどれだけの人が関わっているのだろう、有難い。なんて思ったり。

世界は"ありがとうそのもの"でありますね!

 

最後までお読みくださりありがとうございました。あなた様にも嬉しい出来事がありますように。