【スピ日記】私たちは思考ではなく意識なのだろうなぁ
スピ日記でございます。今回もただの独り言。思ったことや推論をただ書き連ねる回でございます。
この記事は23年2月23日に私が考えていたことを綴ったものであり、今後もっと知識を吸収して、経験を積むことで考え方が変わる可能性があることをご留意くださいませ。
これから書くすべての記事に上記の文を添えることにしました。真理やスピリチュアルの探求は順番に与えられるものであり、探求が進むにつれて視点が高くなり見えるものが変わってくるみたいなので今後考え方が変わる可能性もあるのです。。
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私は以前勤務していた会社の先輩が日記を付けていたのを見て衝撃を受けてから8年間(9年かも)私も毎日日記を付けることをしている。
会社の先輩が付けていた日記は、0.3mmの細いペンで空白がないほどびっしり、その日の出来事と思いの丈を書き連ねるものだった。
それをそのまま真似をして私も同じように日記をつけた。
ストレス解放にはとても良くて、思いを書いてまとめるとスッキリした気分になる。
それはそうとして。
過去の私の日記を見る機会があった。
思考によって現実が影響を受けているなんて知らない時期の私の日記。
内容は自分への不満だらけだった。笑
今は毎日日記に「すべてにありがとう」と書いているというのに、どのタイミングで変わったのか私にもわからない。
過去の日記を見ていて思ったことがある。
それは過去の私は今の私と全く違うということ。生活も考え方も今の私とは全く違う。
"過去の私"とは、なんだろう?と思ってしまうくらいに。
「過去の私は未熟だった」という言葉で終わらせられそうだけれど、生活も考え方も性格も、よく考えれば身体の細胞は絶えず生まれ変わっていて、身体すら過去の私とは違う。
記憶は過去の私から引き継いではいるけれど、記憶も完璧ではなくて、大きな出来事以外ほとんどのことは忘れてしまっており、しっかりとは引き継げていない。
"過去の私"は”今の私”ではない。”過去の私”は全くの別人かも。
ついでにもっともっと過去の記憶も思い返してみた。
専門学生時代、高校生、中学生、小学生、幼稚園、保育園。
過去を思い出せば出すほどに、今の私とは別人だという感覚が増していく。
ただ、世界を観察している意識だけは変わっていないように思えた。
ここで言う意識というのは、「熱心に生きます!向上するように頑張ります!」の意識ではなくて、無心になったときに残る意識。
無心になったとき「私の周りで○○が起きている」と認識している意識。
過去の私は今の私とは違う考え方を持っているので、感情の浮き沈みも違うけれど、そこには必ず意識があった。
自分の周りで起こった現象を認識している意識があった。
会社員時代、過酷な仕事で苦しむ私を認識している意識があった。 専門学生時代、人生に悩み手探りで前に進む私を認識している意識があった。 高校時代、中学時代、小学生、幼稚園、保育園。そこにも意識があった。
赤ちゃんだった頃の記憶はさすがにハッキリしていないけれど、何かを見て、泣いたり遊んだりしていたのならそこに意識はあったのだろう。
意識は最初からずっとあった。
意識は最初からずっと変わらずにある。
思考も感情も肉体も絶えず変化して変わっていっている。
思考と感情はあっさり変わってしまう。肉体は1年あれば肉体の細胞はほとんどが生まれ変わり、同じ部分は無くなる。
でも意識はずっと同じ。
最初からあってずっと変わらないでいる意識。これが本当の私、本当の私たちなのかもしれない。
私たちは物心ついたときから考えたり感情を感じたり、肉体からの刺激を強く感じているのでまるで「私は思考である」「私は肉体である」というような考えになっていたけれど、私たちの本当の姿は”認識する意識”なのだろう。
実はこの記事を書いているタイミングで、『ザ・グレイテスト・シークレット』という真の私である"意識"に気づかせる本に偶然出会いました。
本によって私は"意識"であるという考えが更に深まると同時に、なぜ私が考えていたタイミングで、考えを強化する本に出会うのか、、
人は物事だけでなく考え方すらも、現実化しているのかもしれませんね。。読んでくれた優しい皆様に感謝を。皆様にも祝福がありますように。