【スピ日記】思考が他人の思考を作っているかも

 

思考が私個人だけでなく他人へも影響を及ぼしていると気づいたとき、他人の思考が私個人に影響していることに気づく

今回もただの独り言。こんなことを考えていると、人生を今までの目線では見られなくなるような気がするね。

 

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この人間が集団で生活している社会では、思考が現実化する為に、少なからず他人の手伝いが必要になる。


ということについて考えてみた。

 

 

身近な例で言えば、カレーが食べたくなって、カレーをイメージしたとする。
それを現実化する為には、カレーを作ったりカレーを食べに行ったりしないといけないけれど、ここではあえて自分からは行動しない。


自分から行動しない状態でカレーが目の前に現れるには、誰かがカレーを持って来ないといけない。

 

カレーをイメージして、しかし何もしないでいると

何もしらない家族や友人が、カレーを買ってきたり、作ってくれたりする。

(今こうやってカレーカレーとたくさん考えている私の食事は近いうちにカレーになるだろうね笑)

(追記:この記事を書いていた2日後の今日の夕食はカレーに決定した。もちろん私は家族にカレーのことは一切話していない。)

 

 

このとき、自分の思考が他人の思考に影響を及ぼしているのに気づく。
カレーを買ってきてくれた家族は、なんでカレーを買ってこようとしてくれたのか。
「カレーが食べたくなったから買ってきた」とまるで自分が考えたみたいに言うけれど、それは本当に自分の考えではないかも。


そして、家族がカレーを買ってくる前にカレーを思考した自分の考えすらも、誰かに影響された考えかもしれない。

 

 

この考え方を他の出来事に当てはめて考えてみたらどうなるだろうか。

 


極端な例で考えると
重大事件を起こした犯人がいたとして、その犯人が事件を起こそうと思ったその考えは本当にその犯人から出たのだろうか?周りから来た思考をこの犯人が拾って事件を起こしたということはないだろうかか?

 

もちろんそう周りの人に思われるような雰囲気を少なからず持っているだろうけど。その犯人の周りの人が「この人はいずれやらかすぞ」なんて強く考えていたりしたから、犯人は影響を受けてしまったというのもありえるのではないか?

 

 

他にも、会社勤めの人が上司に良くない対応をされてそれ以降「上司は最悪な対応をする」なんて考えたらどうなるだろう。上司がその思考の影響を受けてしまえば、また良くない対応をするようになるのではないだろうか。

 

ときどき自分でも理由がわからないままにイライラしているという人がいるが、もしかして他人から影響を受けているのでは?


なんて思ったりもする。体調や栄養素の問題もあるかとは思うけれど。

 

 

ネガティブな例で考えてしまった。
ポジティブな例はわかりづらい例しか思いつかなかった。私はまだまだネガティブよりな思考習慣が取れていないみたい笑

 

人間関係で困っているとき、「あの人は嫌な対応をする」と考える代わりに「あの人は良い対応をしてくれる」と意識的に考えれば、次に会うときには前回会ったときより対応が良くなっているかもしれないなんて思う。

 

周りの運気を上げるとされている「あげまん」と呼ばれている人は、身内の繁栄を日常的に考える癖を持っている人かもしれない。逆に「さげまん」はネガティブな思考が習慣になっているのかもなんて思う。

 

 

私の考えが他人の行動に影響し、その逆に他人の考えが私の行動に影響して、私たちは影響しあっているのなら、私は、いや、私たちは何者なのだろうか?個人とはなんなのだろうか?

 

まず、私が抱いている思考は、本当に私なのだろうか

こうした考えの先に「ただ在る」という境地に気づくのかもしれない。なんて思う。