【ちょっとした考え】思考を散漫にさせることの影響について

 

ひななぎ構成員であります!今回は結論がありません!

そんなキッパリと、、ただの憶測ってことなの?

そうであります!私のブログはそういうスタンスで行こうかと思っているであります!

 

______________

 

今回で私がブログを始めてから第7回目の記事となりますが、いつも記事を書くとき、スラスラと書けてしまい、まるで自分ではない何かが、他ならぬ私に向けて書いているかのよう。

 

絵を描いているときに似ていて、「こうしたらもっと綺麗に見えるんじゃない?」と思って描いてはいますが、上手く描けたときに、自分では何故上手く描けたのかわからないことが多のです。手が勝手に動いたというような。

 

この記事ももしかしたら、思考を散漫にしがちな私へ向けたメッセージなのかもと思ったりしています。

 

 

最初から話がそれましたね、すみません。

 

今回は、私が思う、「思考を散漫にさせることの影響」についての考えをまとめていきます。
これはただの私の考えですので、意見の一つとして思ってください。

 

 

「思考が現実化する」または「考えたことが引き寄せられる」という考えはかなり広まっているので、説明は不要かと思いますが、"考え続けた"ことが現実になるということ。


思考したことが目の前に現れるのを体験したことがあるひとはたくさんいるでしょう。私もときどき体験しています。

 

”考え続けた”と書いていますが、一瞬考えただけのことも、場合によっては現実となることがあるのですが、いろいろ条件があるので、今はおいておいて。

 

 

人はなんらかの見えないエネルギーを発していて、自由に操れる。そのエネルギーは思考した対象に集められていて、一定のエネルギー量が溜まると現実に現れる。
(ここでいう思考した対象とは、心の中のイメージや、過去の出来事、未来の望み、など)


「思考する」ということは望む未来にエネルギーを与えて創造すること。または、未来を選ぶこと。

 

 

そんな中で思ったことがありました。
テレビや動画サイトやSNSを見続けている間は、思考が散漫になっている。と。
(あ、それらを悪く言っているわけではありませんよ!便利で良いところもいっぱいあります!)

 

なにか一つのことに思考を集中しているのではない。次から次へと見るものが変わり、思考の対象が変わる。その間、思考のエネルギーはさまざまな物事に向かって、バラバラに分散して飛んでいく。

 

ということは、何にも思考のエネルギーは集中できていないので、未来を意図的に創造することができていない。
これでは未来を何も注文していないのと同じ。なにも得られないのでは?

 

 

では「未来はないのか?」と思ってしまいそうですが、そうではなく。。

 

人は毎日の生活のほとんどを、ほぼ自動的に前日と同じ流れで生活していると言われています。(95%は前日と同じ思考をして同じ行動をしている。だったでしょうか。ちょっと違っていたらすみません。)


つまり、思考を集中させて、違う未来を引き寄せなければ、自動的に過去とおなじ生活をしつづけてしまう。
思考を散漫にし続けても、未来は来ますが、内容は大体過去と同じ。

 

このまま思考を散漫にし続けたらどうなってしまうのでしょう。
そう、私は思いました。

 

パートとして働いていて、収入が厳しい日々がつづいているのなら
その1年先も5年先も、過去と同じ日常を過ごし、最後まで同じ状態が続きかねないのではないか?


そう思うのです。

 

 

 

ある日、デジタルデトックスをしたことがありました。
スマホの電源を切る。パソコンも触らない。テレビも見ない。

 

私もだいぶスマホに依存してしまっているので、何度スマホを見ようとしてしまったか覚えていません。


でも、そうやって「外から入ってくる余計な情報に思考を集中させない」でいると、不思議な感覚がしました。

 

「本当は何をしたいか」
「今何をすべきか」
「何がほしいか」
「そのためにはどう行動したらよいのか」

そういった内観のような思考がスムーズに始まります。そして

 

「○○しよう」

「○○したほうがいい」
「このままではこうなる」

「その疑問の答えは○○」

「最善の行動はこれ」

 

というような、心の内にあった疑問への答えが、ポンポン思いつきます。
自分の”内側の声”や"天啓"を聞いているかのような、今すべきことの指示も、パッと思いつきます。

 

 

私は、いつもどおり生活してると、天啓や直感のような、ふとした気づきが2日に1回くらいのペースでありますが、デジタルデトックスをしている日は、たった1時間の間に5回くらいで気づきが降りてきたと感じました。

 

思考を散漫にさせないでいただけ、思考を暇にさせていただけでこんなにも明晰になるのか。そう思いました。

 

 

この、「思考」という、暇にさせただけでもかなりパワフルなエネルギー。
それを、望む未来に集中させる時間をたっぷり作ったら、どうなるのでしょう。